エフェソの信徒への手紙3章1−6
キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔て の中垣を取り除いてくださった方」であることを知ったパウロという人物、その福音 のためにどのような生き方をするような生き方をするようになったのか、どのような 生が可能なのかのついて学ぶことが、ここでみことばを読むものに挑戦してくる課題 です。 まず、新共同訳ではいささか平板に訳されているところですが、「わたしには啓示 によって奥義が知らされた」と語っていることの重さをよくとらえなければなりませ ん。「啓示」は単に新しい知識を獲得し、真理にふれるということよりはるかに感動 に満ちた出来事を意味しています。未知のことを知り発見することは大きな喜びです。 それによって日々新しく生きることができるでしょう。しかし、「啓示」は天からの 光であり、神の真理が暗闇と覆いを押し破ってわたしたちの視野の中に突入してくる ことです。そこで知られることは「奥義」(ミステリー)です。具体的には、あのナ ザレのイエス、人々の病を負い、嘲りとののしり、失意と絶望の中に十字架で死に、 そして三日目に復活したと称しているあの人物が、自分にとって忘れられない重要な 転機を与える人であるというばかりでなく、全世界のありよう全体を変え、救済的な 意義を持っていることを知らされたことを、「私は啓示によってキリストの奥義が知 らされた」と誇り高く語っているのです。 次に、彼に与えられたこの啓示を「あなた方のために神から賜った恵みの務め」と 受け取っている奥深い意味をとらえる必要があります。「務め」と訳された言葉は、 一般の日本語では「経済」と訳されるオイコノミアです。任務、管理、実施計画、具 体策などの意味があります。「イエス・キリストの奥義を知る」ことは、自分が特別 な悟りと平安の世界に到達したことになるのではなく、それはあなた方、すなわちそ れまで何も関係のない異邦人である人々に対して、神がどのような恵みを与えようと しておられるかについての、具体策、恵みの実現計画が示されたというのです。ある いは、カルヴァンが理解しているように、その恵みを伝達する「全権大使」となって いると責任と労苦を引き受けています。 「あなた方に賜った神の恵み」、「キリストの奥義」、それは、「共に神の国を継 ぎ、共に一つの体になり、共に約束にあずかるものになる」という三つの「共に」で あらわされます。わたしたちは、実に、このような務めと実現計画に従って迎えられ た「あなた方」です。秋山牧師の説教集インデックスへ戻る