4月20日
2008年4月20日

「 ゲラサの狂人、名はレギオン 」

ネヘミヤ記8:9-12 マルコによる福音書5:1-20


 ガリラヤこの向こう岸ゲラサの地に渡られた主イエスが最初に出会った人の異常性、

またその癒しの過程は、わたしたちの想像できる範囲を超えています。汚れた霊に取

り付かれて、どんなに鎖でつないでも引きちぎってしまい、墓場を住処として日夜叫

んでいる人、まさに「ゲラサの狂人」です。この人の強力さ、何ものにも支配されな

い自由さは、すこしも喜びとその人らしさを支えていません。自分の体をうちたたき、

死者の住処でなければ生きられない、まことに混沌と荒廃した人の有様を示していま

す。主イエスの名によって祈ることができるようになる以前の、自分の欲望に従って

生きていたわたしたちの姿を肥大化した姿で見せつけられているようです。

 ところが、この人が遠くから主イエスのもとに走り寄り、ひれ伏して「いと高き神

の子イエス」と叫びます。激しい求道の姿勢、深い洞察に基づいた信頼。しかし、彼

が主イエスに求めていることは混乱しています。「かまわないでくれ、わたしとあな

たに何の関わりがあるのか」と言っているのです。苦しみから逃れたい、だが、真に

求めるべきことが何であり、どこに救いを求めるべきかがはっきりしない。まさに、

これも、わたしたちの求道の姿そのものです。しかし、気づかされるのは、この人は

もはや対話不能の「狂人」ではなくなっているのです。

 主イエスは、この「狂人」にたいして、「あなたの名前は何か」と問うことを通し

て癒し、回復する手を差し伸べています。「レギオンです。大勢ですから」と答えた

のは、一体誰なのか。汚れた霊なのか、それとも、その人自身なのか、答える主体が

混乱していますが、しかし、名前を問われることを通して、真に自分は誰であるかを

捉えなおす機会が与えられている、と考えることが出来ます。その後の豚に起こった

出来事は、感嘆するほかありませんが、この人が主イエスと出会うことによって変え

られた過程は、「狂人」「求道者」「自分を取り戻す者」「主に従うもの」「家族へ

の伝道者」「デカポリス地方一帯の伝道者」

それは、まさにキリスト者が経験する軌跡でもあります。


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