6月22日
2008年6月22日

「 主は羊飼い 」

出エジプト記16:1-18 マルコによる福音書6:30-44


 5つのパンと2匹の魚で、男だけで5千人の人の空腹を満たされた奇跡は、12弟

子を宣教のために周囲の村々に遣わされて、彼らが大きな成果をもって帰ってきた、

そして自分たちの働きを主に報告するというところから始まります。この時、弟子た

ちにもっとも必要なこととして主が考えられたことは、彼らに休養をとらせることで

した。安息日をもうけられた主は、Life Work Balance の必要を最もよく知っておら

れます。「さあ、あなたがただけで人里離れたところに行ってしばらく休むがよい」

と、わざわざ小舟を用意して、静かな祈りの場所、荒れ野に導かれます。

 しかし、事態は思い通りに進みません。主イエスと弟子たちの一行が小舟から降り

ると、もうそこには先回りしていた大勢の群衆が待ち構えていて、主イエスのことば

を聞くために待ち構えていたのです。主イエスはその群衆を見て、「飼うもののいな

い羊のような有様を深く憐れまれた。」というわけで、夕暮れになるまで群衆に語り、

彼らの求めに応えられるのです。主イエスの弟子たちに対する配慮はどこに行ったの

でしょう。

 夕暮れになって、弟子たちは「もう夕暮れになったので群衆を解散させてください」

と言いますが、主は「あなたがたが食べるものを与えなさい」と言われます。休養の

必要な弟子たちに、彼らには担いきれない途方もなく大きな仕事を敢えて担わされま

す。それからの展開は、よく知られている通りです。青草の原に群集を組ごとに座ら

せ、主が祝福したパンと魚を弟子たちが配ります。裂いても裂いても尽きないパン、

分ければ分けるほど増えてくる魚、天の食物、主が与えてくださるいのちの糧は、ま

さに、そのようであって、地上の食物とは違います。主はまことの羊飼いとして、人

々を養われます。

 しかし、弟子たちのことはどうなったのでしょう。休ませるはずの者たちに過酷な

仕事を担わせた、この人たちの疲労。主から渡されたパンと魚を配って行くうちに、

その事態の不思議さに直接に最も近くで触れたのは、食べた群衆ではなく、配った弟

子たちでした。天からのいのちの養いの不思議を本当に証言できるのは彼らです。そ

の不思議に立ち会うことによって、彼らの疲れも、重荷も、いらだちも、違ったもの

に変えられ、どこかにいってしまったでしょう。主が与える別の種類の休息です。


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