6月29日
2008年6月29日

「 恐れることはない 」

イザヤ書26:16-19 マルコによる福音書6:45-56


 5つのパンと二匹の魚で5千人を超える群集を満腹させられた主イエスの働きを告

げたあと、マルコ福音書は、更に不思議な主の働きを伝えています。逆風にこぎ悩む

弟子たちのところに、湖の上を歩いてゆかれ、小舟に乗り込んで、「恐れるな、わた

しだ。安心しなさい」と語られたという話です。

 主イエスは弟子たちを休ませるために、強いて彼らだけを小舟に乗せて向こう岸に

行かせようとされます。しかし、「真夜中」、「海の真ん中」で「逆風」に遭遇しま

す。わたしたちの人生の旅路を顧みる時、これらのことばの一つ一つは具体的な情景

をなって浮かび上がってきます。そのようなとき、わたしたちは祈ります。主が超自

然の救いの手を差し伸べてくださるようにと叫ぶのです。弟子たちも、そうであった

でしょう。そして、主は、夜明け前、最も夜が深まるとき、その弟子たちを見て湖の

上を歩いて近づいてきてくださる。そして、「安心しなさい、わたしだ」といってく

ださる。まさに、ここに主の救いの姿を見ます。その救いを感謝し信頼を深めなけれ

ばならないときです。しかし、「弟子たちは心の中で非常に驚いた」のですが、その

驚きは心を閉ざす驚きでした。どうしてか。「パンの出来事を理解しなかったから」

と奇妙な結論です。「パンの出来事」、弟子たちは奇跡を経験したのでした。主が祝

福されたパンと魚を配ってゆくうちに、裂いても裂いても減らないパンと魚、与えれ

ば与えるほどますます豊かになってゆく糧、これはまさに神様が私たちを養ってくだ

さる天の糧の本質ですが、それが自分の手の中で起こってゆく不思議を経験したので

す。しかし、彼らは、それを人間の出来事としてしか理解しなかったのではないでし

ょうか。湖の上を歩いて近づいてこられたときも、同じです。しかし、注目すべきこ

とに、主イエスは、このような弟子たちのくらさ、浅い信仰のゆえに、ご自身の歩み

をとどめられるのではありません。その不信のゆえに、ますます、その歩みを前に向

かって進めてゆかれます。罪を担う十字架の死に向かって、復活の命を明らかに示す

ことに向かって・・。


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