出エジプト記4:10-17 マルコによる福音書7:31-37
旅をする主イエスと弟子たち。チィルスやシドンを経てはるばるヨルダンの東、デ カポリス地方を回られて、またガリラヤ湖のほとりに帰ってきました。デカポリス地 方はギリシャ人の10の町を意味し、そこには、ギリシャ語を話す人々、円形劇場や 神殿の建ち並ぶ町々があります。このような異世界体験から、またユダヤ人世界へ。 そして、また、多くの病人や障害のある人々に取り囲まれます。そしてまた、癒しが 行われます。この度は耳が聞こえず話すことができない人が連れられてきて、主イエ スに癒していただくのです。この癒しの記事は、特別に「この人を群衆の中から連れ 出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、 天を仰いで深く息をつき、その人に向かって『エッファタ』と言われた」と詳しく癒 しの過程が記されています。主の手が耳と舌に触れ、主の唾がその舌につけられる。 それほどの近さに主の思いはその人の障害に迫ります。更に主は天を仰いで深くため 息をつきます。その息によって、耳が聞こえない、舌が回らないこの人の無念、痛み、 不自由が主の体全体に吸い込まれ、その深みより天に向かって、父なる神に叫ばれ、 祈られます。その息が耳の不自由な人の存在全体を包むのです。 『エッファタ』(開けよ)、このことばは世界の創造のはじめ『光あれ』と闇と混沌に 向かって呼びかけられた創造者の呼びかけの言葉を思い起こさせます。この言葉と共 に世界の第一日が始まったのでした。主イエスは、まさに、この癒しによって、創造 者として生きた深い交わりを損なわれ闇と混沌の中にいる人に新しい一日を始めてお られます。しかし、創造者なる主イエスの言葉は、あの創世記の「光あれ」と言う言 葉が語られたときと少しちがっています。あの時は天の高みより混沌に向かって語ら れましたが、この度の「エッファタ」は、深いため息と共に、混沌と闇のただ中より 天に向かって叫ばれるのです。「すると、たちまち、耳が開き舌のもつれが解け、は っきり話すことができるようになった」・・。主よ、わたしたちの耳も、舌も・・・。