9月21日
2008年9月21日

「 山上の変貌 」

列王記下2:1-14 マルコによる福音書9:2-13


 不思議な光景が描かれています。ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子たちは主イ

エスが地上の人と思えないような姿に変貌するのを見た、というのです。3人の弟子

たちが見たこと、それは3つの主イエスの不思議な姿です。1)「服は真っ白に輝き、

この世の布さらし職人も及ばぬほど白くなった」こと、つまり、天的な存在の姿をあ

らわしたということ、2)「エリヤがモーセと共に現われてイエスと共に語り合って

いた」こと、つまり、旧約の律法を代表するモーセと預言者を代表するエリヤと時代

を超え、生者と死者の境界を越えて交わりを持っていること、3)雲の中から「これ

はわたしの愛する子、これに聞け」という声が聞こえたことです。まさに、「人の子

が父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るとき」、終末の情景が先取りされた姿

です。本来交わるところのないはずの永遠のものと時間的なもの、天的なものと地上

的なもの、見えるものと見えないもの、物質的なものと霊的なものが混在し、視覚と

聴覚において一瞬のうちに現れたと言うことです。

 福音書はわたしたちに何を告げようとしているのでしょうか。主イエスが神の人、

天的な存在であることを証しする話として伝えているのか。そうではありません。む

しろ、これを経験した弟子たちの見当違いの反応を強調しています。主イエスが人々

の罪を負って苦難と死、復活への歩みを始めるところでこの出来事が記されているこ

とに意義があります。栄光の姿にではなく、苦難と死の姿の中に、わたしたちが聞く

べきもの、見るべきものがあることを告げているのです。地上的な鞭打たれ、十字架

に釘付けられた裸の姿は、天から見ると、それは栄光に輝く白いこれ主をまとった姿、

重い罪を犯した二人の真ん中で彼らと語り合う地上の十字架の姿は、天から見ればモ

ーセとエリヤと語り合っている姿、「わが神、わが神、何ゆえわたしをお見捨てにな

るのですか」との天に向かう叫びは、天からは、「これはわたしの愛する子」と語り

かけられている姿であること、このような二重写しの幻が山上で映し出されているの

です。


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