イザヤ書63:7-14 マルコによる福音書9:36-50
十字架と復活に向かうその歩みの途上、ヨハネが主イエスに「先生、お名前を使っ て悪霊を追い出しているものを見ましたが、わたしたちに従わないのでやめさせまし た」と言いました。ヨハネは”ボアネルゲ”(「雷の子」の意)と称されるだけあっ て、その熱血漢ぶりがよく表れています。主の名が正しく語られ、その名の権威と救 いの力とが正しく行使されるために力をふるっているのです。ところが、主イエスは、 ヨハネに対して「やめさせてはならない。…わたしに逆らわない者はわたしたちの味 方なのである」と語られました。意外な反応です。これをどのように考えるべきなの でしょうか。 これは、十字架に向かう歩みの中で語られている言葉であるという文脈を考えなけ ればなりません。主イエスの名の権威と力とは、使徒たちの熱血と正義感と教理感覚 によってかろうじて守られるようなひ弱なものではありません。主イエスは、ご自分 の名が弟子たちに守られることを願い求めるのではなく、反対に、ご自身の名が弟子 たちの小さな歩みを守り支えることを約束しておられます。「はっきり言っておく。 キリストの弟子だという理由であなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずそ の報いを受ける」と。 主イエスは、弟子たちに、十字架を負って歩む主に倣って、み言葉の上に立つ監督 者・管理者となるのではなく、み言葉の奉仕者・僕となるべきこと、主の名を伝え、 その力と権威を証しするために、渇きを覚えるほどに歩き廻り、一杯の水を人に乞う ほどに見知らぬ世界の中にまで入って行くことを期待し、想定しておられます。一人 の小さな者をつまずかせないように極度の注意を払いつつ・・・。わたしたちはそのよ うに主の名を信じ、主の名に仕えているか、が問われます。