11月16日
2008年11月16日

「 子供のように神の国を受け入れる人でなければ 」

箴言3:1-12 マルコによる福音書10:13-16


 主イエスと子どもの関係は特別です。「子どもたちをわたしのところに来させなさ

い。妨げてはならない。神の国はこのようなものたちの国である。はっきり言ってお

く。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはでき

ない」といわれるのです。子どもに対するまなざしの深さはは、わたしたちが子ども

と関わるときの原像であり、基礎であり、目標です。

 主イエスは、だれが一番偉いかを論じ合っている弟子たちの真ん中に子どもを立た

せ、妨げようとする弟子たちに対して腹を立ててまで子どもを近くに置かれ、祝福さ

れます。この子どもの存在を通して、神の国がわたしたちのただなかに来ているとい

うその存在のあり方を指し示しているからです。これは容易ならざる逆説です。こど

もは大人の文化を学び、言葉と習慣を身につけることによって人間になります。子ど

もは大人のようにならなければ人間として認められない、これが常識です。しかし主

は、逆のことを言われるのですから。子どもは純粋で、無垢で、希望にあふれ、長く

怒ることなく、欲望に心乱されることなく、裏表なくだれとでも笑顔で受け入れるこ

とができる、という理想化された子ども像は、近くで子どもに接している人たちは受

け入れることはできません。子どもの大人と同じように多様で複雑なのです。ではど

うして、子どもは神の国を自分のものとし、また子どもは神の国を映し出す鏡なのか。

それは、子どもの小ささに鍵があると思います。いと小さいものほど神の恵みは豊か

にあふれていることに目を覚まされるからです。空の鳥や野の花がそうであるように。

天の父の愛をより鮮やかに見せるためのもの、人の知恵や法が精度を高めれば高める

ほど見えなくなる世界が子どもによって示されているのです。そのような天の父の限

りない愛をわたしたちに示すために、主イエスは子どもと一緒に働かれ、ご自身の命

を与えられます。


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