11月30日
2008年11月30日

「 らくだが針の穴を通るほうが・・・ 」

イザヤ書2:1-5 マルコによる福音書10:17-31


 主イエスは子どもを弟子たちの真ん中に立たせ、子どものように神の国を受け入れ

るのでなければ、神の国に入ることはできない、と語られました。すぐそのあとで、

ある男が主イエスの足もとにひざまづいて、「よい先生、永遠の命を受け継ぐには何

をすればよいのですか」と尋ねています。この人は金持ちで議員であったことが知ら

れていますが、このような人がこのような問題を抱えて、真剣に主に問うていること

自体、これは稀有のことです。この人自身がまことに「よい人」であったに違いあり

ません。「永遠の命」のことが生きるうえで真剣な問題になっているということは、

今生きている命の限界性が見えている、ということでしょう。死を超える命、尽きて

しまうことのない命への問いは、その場限りに生きている凡人の中からは起こってき

ません。

 多くのものを持ち、深い問いと取組み、真摯な態度で尋ねるこのような「よい人」

に対して、主イエスはどのようにその魂を導かれるのか、それはわたしたちにも興味

深いことです。主の導きは4つの段階を踏んでいることが分かります。「よい先生」

との呼びかけに対して、よいものは神おひとりであることを指摘する。モーセの律法

に記されている隣人を愛するようにとの戒めを思い起こさせる。「それらはすべて幼

い時から守っています」との答えを聞くと、持っているものを全部売り払って貧しい

人に施し、天に宝を積むように勧める。そして、「わたしに従ってきなさい」と招く。

主の導きは、一貫してこの人に何かを加えることではなく、この人の持っているもの

を取り去ることでした。よい人という枠組みも、財産も、よい行いの実績も、自分と

いう人間を成り立たせているはずのものを取り去って、主に従うことを求めておられ

るのです。そして、「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがは

るかにやさしい」と、途方もないことを語られます。慈しみに満ちた目で見つめられ、

導こうとする、この深い主イエスの導きを、しかし、この青年は受け入れることがで

きず、立ち去ったのです。


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