イザヤ書2:1-5 マルコによる福音書10:17-31
主イエスは子どもを弟子たちの真ん中に立たせ、子どものように神の国を受け入れ るのでなければ、神の国に入ることはできない、と語られました。すぐそのあとで、 ある男が主イエスの足もとにひざまづいて、「よい先生、永遠の命を受け継ぐには何 をすればよいのですか」と尋ねています。この人は金持ちで議員であったことが知ら れていますが、このような人がこのような問題を抱えて、真剣に主に問うていること 自体、これは稀有のことです。この人自身がまことに「よい人」であったに違いあり ません。「永遠の命」のことが生きるうえで真剣な問題になっているということは、 今生きている命の限界性が見えている、ということでしょう。死を超える命、尽きて しまうことのない命への問いは、その場限りに生きている凡人の中からは起こってき ません。 多くのものを持ち、深い問いと取組み、真摯な態度で尋ねるこのような「よい人」 に対して、主イエスはどのようにその魂を導かれるのか、それはわたしたちにも興味 深いことです。主の導きは4つの段階を踏んでいることが分かります。「よい先生」 との呼びかけに対して、よいものは神おひとりであることを指摘する。モーセの律法 に記されている隣人を愛するようにとの戒めを思い起こさせる。「それらはすべて幼 い時から守っています」との答えを聞くと、持っているものを全部売り払って貧しい 人に施し、天に宝を積むように勧める。そして、「わたしに従ってきなさい」と招く。 主の導きは、一貫してこの人に何かを加えることではなく、この人の持っているもの を取り去ることでした。よい人という枠組みも、財産も、よい行いの実績も、自分と いう人間を成り立たせているはずのものを取り去って、主に従うことを求めておられ るのです。そして、「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがは るかにやさしい」と、途方もないことを語られます。慈しみに満ちた目で見つめられ、 導こうとする、この深い主イエスの導きを、しかし、この青年は受け入れることがで きず、立ち去ったのです。