申命記6:1-9 マルコによる福音書12:28-34
主イエス・キリストがエルサレムで過ごされた最後の一週間、祭司長たちや律法学 者、民の長老たちによって十字架の死へと追い詰められてゆくようなその歩みの中で、 マルコによる福音書が伝える最も重要な戒めをめぐる対話は、意外な展開になってい ます。掟のうち最も重要なものは何かとの問いに対して、主イエスは答えられます。 「『イスラエルよ聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、 精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」これに対 して、律法学者は、「先生おっしゃるとおりです」と主イエスの言葉を深く受け入れ ました。また、主イエスはこの律法学者の答えを聞いて、「あなたは、神の国から遠 くない」と、その答えの適切さを称えているのです。 確かに、最も重要な掟が全身全霊をあげて主なる神を愛すること、隣人を自分自身 のように愛することにある、との要約を得るということは、高度の思想的なるつぼの 中で精錬しつくされたところから出てくることで、凡俗の思想をはるかに超えていま す。愛が掟の意味、また目的。神と隣人への愛が愛の究極の場。すべての宗教の営み、 社会の営みが神と人を愛することに収斂する、この思想は、いまだ人類がその思想の 重要性を真に認識するに至らず、その深みと高みに到達できないで、周辺のところを うごめいているような具合です。しかも、これは、主イエスの独創ではなく、すでに ユダヤ教において到達していた到達点でもありました。主イエスと律法学者との間に はこの高みにおいて共感しあう場を持っていたのです。 しかし、この共感、友好的な対話は、主イエスの十字架を阻止する力になりえたか、 その答えは明らかです。偉大な思想とそこでの共感は主イエスの十字架の死と復活を 必要とし、それなしでは何の力ももちえないのです。ここに十字架の深淵があり、十 字架の愛が働く場が開かれています。