エゼキエル書37:1-14 ヨハネによる福音書14:15-27
ペンテコステの日に、主イエスの弟子たちが共に祈っていた時、約束された通り、 一人一人に火のように注がれる聖霊を受けました。主の弟子たちはどのような聖霊を 期待し約束の実現を待ち望んだのでしょうか。聖霊の働きは聖書のみことばによって 証しされなければ、それは単なる自然現象か、心理現象にすぎないようなものです。 しかし、み言葉は、聖霊を確かな存在として、あがめられるべき三位一体の神の一位 格とし、その働きを見る視点を明らかにしています。ヨハネによる福音書には、聖霊 の働きについて、「弁護者」{真理の霊}という言葉で独特の働きを教えています。主イ エスが父にお願いして送っていただく聖霊、弁護者は、とりわけ、「主イエス・キリ ストの不在」と関わっていることにまず気付かされます。主イエスを見ることができ ない、触れることができない、捉えることができない、生きる源と切り離されてみな しごのようになることがないように、聖霊が遣わされ、その生きた働きによって主イ エスが語ったことを「ことごとく思い起こさせて下さる」というのです。その意味で 「わたしが去ってゆくのはあなたがたのためになる。わたしが行かなければ弁護者は あなたがたのところに来ないからである」と言われます。 弁護者、慰め主なる聖霊が来る時、そこには興味深い現象が起こります。それを受 ける者とこの世のものとの間に違いが生じるというのです。「わたしたちはそれを見 るが、この世は見ない。わたしたちはそれを知るが、この世は知らない」というよう な違いが。主イエスのことば、罪の赦しと贖い、命の回復、喜びと感謝にあふれて福 音を伝えること、いと小さきものへの愛の務めと責任、等々、見えているようでいて 見えなかったこと、したいと思ってもできなかったことが聖霊の働きによって、見え るようになり、できるようになるのは聖霊を受ける者の実体験です。 さらに、弁護者が来る時、「わたしが父のうちにおり、あなた方がわたしの内にお り、わたしもあなたがたの内にいることがあなたがたに分かる」と教えられています。 もはやわたしたちはキリストの外にいるのではなくキリストの内にいるものとされる のです。「造り主なる聖霊よ、来て下さい。」
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