詩篇88 マルコによる福音書15:42-47
主イエスの十字架の上の死の後に起こったこと、ローマの百人隊長の、「この人は まことに神の子であった」という印象深いつぶやきに続いて、アリマタヤのヨセフと いう身分の高い議員が、大胆にも、ポンテオ・ピラトにイエスの死体を引き取りたい と申し出、ピラトはその申し出に驚き、何の留保もつけずにイエスの死体を引き渡し、 ヨセフの墓に葬るということへと発展します。主イエスを十字架へと引き渡した人か ら人への連鎖をわたしたちは見て来ましたが、その死後も新たなる引き渡しが始まっ ているのです。そして、この逆転した引き渡しは、十字架以前の引き渡しに比べてき わめて人間的ないろどりのなかでその過程が進んで行きます。裸にされ、茨の冠をか ぶせられ、強盗の仲間として十字架へと引き渡され、非人間的な扱いの中で死んだ主 イエスは、いまや人間として丁重に扱われ、ピラトからヨセフへ、ヨセフからガリラ ヤから来た女性たちへ、そして弟子たちへ、と引き渡されてゆく過程が目に見えるよ うです。 アリマタヤのヨセフの行動はたしかに「大胆」です。十字架刑を賛成した議員の一 人がその死体の引き取り方をピラトに願い出るということは、明らかに最高法院の中 に新たな危険な動きが始まっていることを予感させ、ローマへの反乱運動の兆しとも 取られます。その申し出がどれほど危険なことであるか、政治家なら当然そのことが 読めるはずです。にもかかわらずヨセフは、大胆にも主イエスの死体を引き取ると申 し出たのです。イエスの死によってヨセフの中で何かが変わったのです。確かに、人 の死は生きているものを動かし、その生き方を変える力を持っています。また、ヨセ フの申し出を聞いたピラトの反応も不思議です。彼は驚きますが、その驚きは、イエ スがもう死んでしまったのか、という驚きで、議員の一人が死体の引き取りを願い出 たということに対してではなかったのです。そして死を確認するとすぐに許可してい ます。この一連の引き渡しの過程は、わたしたちにもよくわかる「死の美化」「死者 の神格化」「死者の崇拝」の過程が進行していることを思わせます。ピラトとヨセフ の中にはこの過程を推し進める共通した思いがあります。やましさ、正義と信念を貫 くことができなかった後ろめたさの同盟が、このイエスの葬りにおける人間的な引き 渡しの根底にあると見ることができます。償いとしての人間的な葬り、そして死者の 英雄化。 主イエスの復活の出来事は、このような人間の側の死者復活の願望とは全く違った 事態、神からの出来事であることが明らかです。
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