イザヤ書40:1-11 マルコによる福音書16:9-20
マルコによる福音書16章9節以下は、元来マルコ福音書にはなかったもので、後代の 教会が付け加えたものと考えられています。最も古い写本群にはこの部分はありませ んし、別の写本には「結び二」に記されているような別の終わりの言葉を伝えている ものもあります。この部分はマタイ、ルカ、ヨハネとも関連の深い復活伝承です。マ グダラのマリアに主が現れたこと、田舎に向かって歩いている二人の弟子に主が現れ たこと、そして、11人が食事をしているときに主が現れ、「全世界に出て行ってす べての造られたものに福音を宣べ伝えよ」と宣教命令を発せられたこと、この三つの 復活の主の現れを伝えています。 最初の二つは、復活の主に出会ったことを伝えても誰も信じなかったということが 重ねて語られます。マグダラのマリアは「かつてイエスに7つの悪霊を追い出しても らったことがある」と注記されています。そのような精神の不安定な人だ、とでも言 うように。また、二人の旅人に現れた主は「別の姿で」現れたと書かれています。主 の復活の様態にも不確実なものがある、と。復活の使信を信じることがどれほど厚い 壁に阻まれているかが強調されているのです。主イエスの復活に接し、そのことを伝 えた人、聞いた人たちはわたしたちと同じ普通の人であったことは確かです。しかし、 誰にも信じられないような出来事であれば、その伝承はやがて消えて行くはずですが、 主の復活の使信は不信が重なっても消えてしまわないのです。主に出会ったという証 言が重なり確実な出来事となって行きます。そしてついに、11人に御自身をあらわ されることによってその事実は教会の共同の経験となり信仰となって行きます。しか し、教会が伝えるべきことは、主の復活の奇跡ではありません。主の福音、すなわち、 主イエスの生涯とその死、そして復活によってあらわにされた神の恵み、罪の赦しと 贖いと和解による救いの知らせをつたえることです。この福音は、「全世界の、すべ ての造られたもの」に伝えられるべきものです。これによって、復活によって目覚め させられた初代教会のキリスト者たちの視野の広がり、その主から聞き取った福音の 奥行きがどれほどのものであったかを思い知らされます。
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