ルツ記1:1-18 ローマの信徒への手紙11:11-16
マルコによる福音書の講解を終えて、しばらく旧約の物語、ルツ記の講解を始めま す。主イエス・キリストの福音、神の愛がどのように神の民のなかで結実し、信仰の 歴史が形成されてゆくのか、時代を逆転させるような形ですが、学びたいと思います。 物語はイスラエルの民がエジプトの地から解放されてカナンの地に定着し、士師が 治めていた時代、「それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」時代の、地 の民の堕ちて行く歩みから始まります。ベツレヘム(「パンの家」の意)のエリメレ ク (「わたしの神は王」の意) と言う人の家族、妻のナオミ(「慰め・喜び」の意) と二人の息子が国を襲った飢饉のために隣国モアブの野に逃れなければならなかった、 というのです。しかも、モアブで夫のエリメレクは死に、ナオミには二人の息子が残 され、やがて成長してそれぞれにモアブの娘を妻に迎えたところで、二人の息子が相 次いで死ぬという悲劇。神の慈しみを約束されているはずのユダヤの民のどこまでも 堕ちて行く人生。この悲しみと不幸を背負ったナオミと二人のモアブの嫁、オルパと ルツ。ナオミは主なる神が民を顧みてパンを与えられるようになったことを聞いて、 故国に帰ることにしましたが、モアブ人の嫁たちには、それぞれに自分の母の家に帰 って再婚をし、主の慈しみにあずかるように促します。しかし、ルツだけはどうして もナオミと一緒に行くことを固く決意していて、結局、二人でベツレヘムに帰ること になった、この時のモアブの女性ルツの言葉が感動を呼び覚まします。「わたしはあ なたの行かれるところに行き、お泊りになるところに泊ります。あなたの民はわたし の民、あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られ たいのです。」ここに、ナオミの思い描く「主なる神」とルツが従おうとしている 「神」との間に微妙な違いがあることに気づかされます。「主のみ手がわたしに下さ れた」と自分の不幸の根源を見つめているイスラエルの民ナオミと、その神を自分の 神として生き抜き、死に至るまでナオミと共に歩もうとする異邦人たるモアブの女性 ルツ。主なる神の慈愛はこのルツを主軸に展開します。
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