10月4日
2009年10月4日

「 心に触れる言葉を 」

ルツ記2:14‐23 マタイによる福音書6:25-34


 モアブから帰還した二人のやもめ、ナオミとルツのベツレヘムでの生活は『落ち穂

拾い』からはじまりました。しかし、その生活は不思議な御手に導かれて、親戚のボ

アズの畑でルツが落ち穂拾いをすることから道が開かれて行きます。ボアズはモアブ

の地から姑と一緒に帰って来たルツの心映えに深く感動していました。ルツを見ると

「イスラエルの神、主の翼のもとに逃れてきた者」として、十分に落ち穂を拾えるよう

にしたばかりでなく、一緒に食事をするように、のどが乾いたら水を飲むように、と

親切の限りを尽くします。そこには二人を隔てる厚い壁は一切取り払われて、確かに、

民族性や文化に張り付いた宗教を乗り越える、もっと深い神の愛に生きる者の健康な

精神が息づいています。

 一日の仕事を終えて、ルツは1エファ(23リットル)もの大麦をかかえてナオミ

のもとに帰ります。ナオミの驚き、ナオミの感動。「どうか、生きている者にも死ん

だ者にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように」。神を「慈

しみを惜しまない主」と認識することは、ナオミの回心の経験を表しています。主が

わたしをひどい目にあわせた、主がわたしを見捨てた、との嘆きを吐き出していたこ

とをわたしたちは忘れません。その思いを突き崩し、全く反対の言葉が沸きあふれて

くる事態に出会った驚き。「生きている者にも、死んだ者にも、見捨てることなく、

御手を差し伸べたもう主なる神」と認識すること、ここに「死んだ者にも」という不

思議な言葉が潜んでいます。ナオミの感謝と祈りを突き動かしている感動はここにあ

ります。自分が考えていた神の慈しみの限度をはるかに超えて、死人の中にまで神の

愛は行き届いているという驚き。「あなたの慈しみはわたしを超えて大きく、深い陰

府からわたしの魂を救いだしてくださいます」(詩86:13)この神に出会った感

動です。ナオミは自分の心のスクリーンに映したそのままを告げることによって、生

きた主なる神の働きを私たちに伝えています。この「慈しみを惜しまれない主」こそ、

わたしたちが主イエス・キリストを通して神と出会う経験にほかなりません。主はご

自身の死と復活を通して、生きている者にも死んでいるものにも、祝福をもたらされ

ます。

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