詩篇119:9‐16 テモテへの手紙一4:11-16
「どのようにして若者は歩む道を清めるべきでしょうか。 あなたのみことばどおりに道を保つことです」 ここには『若者たち』に宛てて、歩むべき道を清く歩む秘訣が教えられています。 「若者」にはどのような道がこれから先続いているのでしょう。一人ひとりが歩む道 があります。平坦な道、険しい道、上り坂、下り坂、光のあたる道、暗い谷間の道、 栄光に輝く道、破滅に向かう道があります。清い道があり、けがれに満ちた道があり ます。どのようにしてわたしたちは自分の歩むべき道を清く保つことができるでしょ う。これは、若者だけが考える課題ではなく、すべての自分の人生の道を歩く人の課 題です。 聖書のみ言葉ははっきりとその道を教えています。「み言葉の通りに道を保つこと」 この一言です。自分の考えや願いどおりに生きること。先端の情報に従って現実に適 応して行くこと、両親や先生や友人の言葉をよく聞いて忠実に歩むこと、たくさんの 本を読んで人の話を聞くこと、多くの人は、そのように考えて多くの言葉で忠告して くれるでしょう。しかし、聖書の教える秘訣はこれとは違います。まったく違う方向 から語られる言葉、神の言葉を聞いて、それに従って生きることを教えるのです。ど うして、こんな大胆な、また、こんなに簡単な言葉だけですべての人が歩む道を清く することができると確信を持って語ることができるのでしょう。それは、「みことば」 の持っている性格をよく知っているからです。この詩篇の記者は知っています。み言 葉がこの世界を造ったことを。「光あれ」の一言から混沌の世界は秩序ある世界へと創 られました。わたしたちの命も、わたしたちの道も、この言葉の世界の一部です。ま た、この記者は知っています。人の知恵、人が清いと考える行いは、創造者の言葉を 聞かず、罪と不信とむなしさの中から生み出されるものに満ちていることを。また、 みことばは、わたしたちの主イエス・キリストを指し示し、そこに赦しと贖いと、 「道、真理、命」があると知っているからです。み言葉を愛し保つことは、「流れの ほとりに植えられた木のように、時が来れば実を結び、葉もしおれることがありませ ん。」(詩篇1:2)
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