11月22日
2009年11月22日

「 魂を生き返らせる主 」

ルツ記4:13‐17 ルカによる福音書2:22-35


 夫を失い、二人の息子を失って空っぽになってモアブ人の嫁のルツと共にベツレヘ

ムに帰って来たナオミの「贖い」(ゴーエール)は、ボアズがルツをめとり、ルツは

ボアズの妻となり、ボアズが彼女のところに入り、「主がルツを身ごもらせたので、

ルツは男の子を産んだ」ことをもって完成します。ルツ記によって実現された「贖い」

は、ただ法的に家族や親戚の者の苦境を救う者が決定し、共同体の中で承認を受けた

ということによっては完成しません。ボアズがルツをめとり、性の交わりをもち、身

ごもり、男の子を産むという、神秘に満ちた生の営みがあって、初めて現実のものと

なります。わたしたちの贖いが、ただ天上の予定と計画だけがあるのではなく、主イ

エス・キリストが天から下り、人となってわたしたちと同じ地上の生を生き、十字架

の死や復活という現実の出来事をとおしてわたしたちと交わりを持って下さることが

なければ実現しなかったのと同じです。それはまさに人の間の出来事でありますが神

の配剤、神のみ業として実現するのです。「主がルツを身ごもらせたので、ルツは男

の子を産んだ」と言う出来事のうち、どれほどの不思議と驚きと感動が秘められてい

ることでしょう。それは現実の出来事だからです。

 興味深いことに、この感動と喜びを声に出してルツ記の物語のクライマックスを歌

い上げているのは、ナオミやルツやボアズの口ではなくベツレヘムの女たちです。彼

女たちの讃美の言葉の中にルツ記のメッセージは凝縮されています。「主をたたえよ。

主はあなたを見捨てることなく、ゴーエールとなる人を絶やされなかった。・・・

その子はあなたの魂を生き返らせるものとなり、老後の支えとなるでしょう。」ベツ

レヘムの女たちはナオミがモアブから帰って来た時、「全能者がわたしにひどいこと

をした。・・・わたしを空っぽにした」という嘆きを聞きその魂の叫びに深く共感し

た人たちでした。ナオミやルツと共にぽっかり空いた心の空洞を経験し、共に痛み、

共に主に向かって問う時を経験したからこそ、彼女たちはナオミたちと共に「主をた

たえよ、主は魂を生き返らせてくださった」と喜んで歌っているのです。泣く者と共

に泣く者は、主の贖いに出会う時、共に贖いにあずかるのです。


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