11月29日
2009年11月29日

「 全世界の罪を償ういけにえ 」

イザヤ書61:1‐11 ヨハネの手紙一 1:1 - 2:2


 アドヴェントに入り、クリスマスまでの時をわたしたちの心と日々の交わりの中に

も神の御子主イエス・キリストを迎える心備えをします。どのような主の到来を待つ

のでしょうか。

 ヨハネの手紙は実にユニークで不思議なイエス・キリストの紹介の仕方をしていま

す。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手で

触れたものを伝えます。すなわち命のことばについて」というのです。「命のことば」

である主イエスを私たちが経験したので、そのことを伝えたいと言っていますが、そ

れは、ただ、自分の経験や情報を伝えたいと言うだけでなく、そのことを伝えること

によって、「あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたし

たちの交わりは御父と御子イエス・キリストとの交わりです」と言っています。命に

あずかる交わりへの招きを語っているのです。その招待状は、わたしたちにも宛てら

れています。

 主イエスの生涯の全体を「命のことば」という一言で洞察し、言い表していること

に驚かされます。ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、ガリラヤの湖のほとりで人々

に神の国の福音を語り、エルサレムで祭司長律法学者らに捕えられ十字架に架けられ、

死んで三日目に復活し、罪の贖いが完了した故に全世界に出て行って福音をのべ伝え

るように命じられたあのナザレのイエスが「命の言」だというのです。生きとし生け

るものすべての命、生と死、愛と希望、すべての命の営み、その悲しみや喜び、不思

議を総括して、その命の本体こそイエス・キリストであると、わたしたちは見、聞き、

触れ、交わりを持っている、というのです。確かに、わたしたちは命に触れています。

命とかかわりなしに生きている人はいません。しかし、命を持って生きているわたし

たちは、命の現象に触れていますが命の言が何であるか、どのように捉えたらいいの

かさえ分からず、日々模索しています。それを一言で、主イエス・キリストこそ命の

言、そこに命の本質と目的が明らかにされており、また滅びることのない命が示され

ていると語るのです。なんと不思議な招待状でしょう。その招きと交わりが私たちに

希望と愛を回復させます。

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