ヨナ書4:5‐11 ルカによる福音書19:1 - 10
「お前は怒るが、それは正しいことか。」主なる神はヨナに問いかけられます。ニ ネベの人々が悔い改めたのを見て、怒りのあまり死ぬほどになっているヨナに、自分 の怒りに正しく向かい合うよう促されます。しかし、ヨナは、ニネベの東に小屋を立 てて、ニネベの滅びの様を見ようと座り込んでいます。ニネベの王が王座を降り、粗 布を身にまとって灰の中に座っているのと対照的です。自分自身のためには神は「恵 みと憐れみの神、忍耐深く、慈しみに富み、災いを下そうとしても思い直される方」 でなければならないと考え、そのような神を受け入れていますが、他者にその憐れみ が向けられると、怒り狂う、まさに、ダブル・スタンダードに陥っている姿、ヨナは 自らを省みず、何ら反省するところがないのです。何と滑稽な、と笑っているうちに、 この、つける薬もないような、病んだ信仰者ヨナの生きざまは、自分自身を映す鏡で あることに気づかされます。 主なる神は、このヨナの魂を立ち帰らせるために、もう一度海に放り込んで魚の腹 に戻したりはされません。もっと愉快な仕掛けが備えられます。トウゴマの木を一夜 のうちに生えさせ、暑い日差しを避けるための心地よい日影を与え、ヨナはすっかり 満足して大いに喜んでいるところに、今度は、虫に命じてトウゴマの木を食い荒らさ せ、さらに焼け付くような激しい暑さの砂嵐に命じてヨナを攻め立てさせたのです。 ヨナは、またもや死ぬことを願って、「生きているよりも、死ぬ方がましです」と主 なる神に文句を言います。ここでもう一度大いなる問いに向かわせられます。「お前 は自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びるたこの トウゴマの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニ ネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには12万人以上の右も左もわきまえぬ人 間と無数の家畜がいるのだから。」ヨナの物語は、罪人を招く主イエスの働きに怒り、 かたくなに介入するファリサイ派の人々と主イエスの対決の構図を思い起こさせます。 ヨナを回心させ、一人の魂を惜しむ主なる神の心に合わせるためには、十字架の死を 待たなければならないことを示しているようです。
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