3月7日
2010年3月7日

「 時の終わりに直面しているわたしたちに 」

イザヤ書 55:1‐9 コリントの信徒への手紙一 10:1 - 13


「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさら

ず、試練と共にそれに耐えられるように逃れる道も備えていてくださいます。」この

み言葉は、レントの時期、主イエス・キリストの苦難と死に心を合わせる時、わたし

たちの心に鳴り響く慰めの調べです。その深い愛の調べに、さまざまな人生の歩みの

中でどれほどわたしたちは希望を与えられたことでしょう。このみ言葉は、深い慰め

と共に、その前にきびしい警告の言葉があるのを忘れてはなりません。偶像礼拝をす

る者、みだらなことをする者、キリストを試みる者、不平を言う者等に対して、出エ

ジプトの時に、神の力強い御手によって奴隷の家から導き出されたイスラエルの人々

も、それらの罪によって滅ぼされたように、神の裁きにあうことがないようにと警告

をするのです。主イエス・キリストの贖いによって罪を赦されてはいながら、その赦

しと自由を乱用し、この世に適当に合わせせながら安逸に過ごすコリントの教会の人

々に対する警告です。この警告の仕方は実にユニークな方法がとられています。昔の

故事を引き合いに出してそれを教訓にして戒めるという方法は別に珍しいものではあ

りません。ユニークなのは、昔の化石化した故事を現在的なものにする仕方です。コ

リントの教会が生きたキリストの教会として立つべき生命線である、洗礼と聖餐を土

台にして出エジプトの紅海を渡る出来事やマナで養われた歴史を解き明かし、そこで

起こった滅びの意義を考えさせているのです。み言葉と聖礼典に与ることによって生

きている現在のわたしたちにも自らを省みる仕方を教えています。モーセと共に紅海

を渡ったこと、岩から水をのんだことは洗礼、マナによって養われたことは聖餐を意

味したと。それと、もう一つ、この警告は「時の終わりに直面しているわたしたち」

に対するもの、という独特の視点を与えています。主イエス・キリストの生と死によ

って、人間の歴史、過去と未来、その全貌が明らかにされているものとして、この世

に歩調を合わせて、この世の倣いに従って生きることに警告を与えています。その上

で、試練の中にあっても示される「神の真実」を信じ、より頼んで生きるように、と勧

めているのです。

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