ヨシュア記 5:1‐12 コリントの信徒への手紙二 5:16 - 21
春の訪れとともに日に日に光が強くなり、春を待っていた花々が一斉に咲き始め、 木々が芽吹くとき、わたしたちはレントの40日間を過ごします。主イエス・キリスト の十字架の死が全ての被造物を新しい命、復活の命にあずからせるための死であるこ とを覚えるのにふさわしい時期だといえます。この時期に、わたしたちは、天からの 光のように「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古い ものは過ぎ去り、新しいものが生じた」とのみ言葉を聞くのです。 わたしたち生きている者は誰も、新しい時に向かうことなしには喜びも生きがいも 失われてしまいます。新しい経験、新しい出会い、新しい環境に向かって、後ろのも のを忘れ前のものに向かって体を伸ばすこと、これが生きている者の姿です。しかし、 他方で、わたしたちの日常は日々古びて行きます。新しいと思っていることも実は古 いことの繰り返しに過ぎない。そして確実にわたしたちの生きること自体は古びて行 くのです。この世界の中で、「新しく造られた者」として生きて行くのはどのように してか、この大問題に正面から答えているのがこの御言葉です。その秘密は、「キリ ストに結ばれているならば」と言う言葉にあることは明らかです。この世界とその中 にある命が、わたしたちが自分の力で造り出したものではなく、神の創造の業である ように、「新しく創造された者」となるのも、キリストに結び付くこと、「すべて神 から出ていること」に心を傾け、そこで起こったことに学ぶ以外にはありえないこと です。 「キリストと結ばれる人」となるために、どうしたらいいのか、これについて、パウ ロは自分自身がどのようにキリストとの結びつき、新しく創造された人として生きて いるか、その結びつき方を明らかにしています。「キリストの愛が、わたしたちを駆 り立てているからです。わたしたちはこう考えています。すなわち、一人の人がすべ ての人のために死んだ以上、すべての人も死んだことになります」と。パウロはここ で、「キリスト愛がわたしを駆り立てる」と言わないで、「わたしたちを駆り立てる」 と言っていることに注意しなければなりません。
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