ダニエル書 3:19-30 ヘブライ人への手紙 11:32-40
バビロン王の造った金の像にひれ伏し礼拝することを拒んだシャドラク、メシャク、 アべド・ネゴ。燃え盛る炉の中にあっても天の神が必ず助けて下さる、たとえそうで なくても、人間の造った神々に仕えることはしないと、大胆な信仰の決断がもたらす 結果は、当然のように激しい怒りと処罰です。「王は血相を変えて怒り、炉をいつも の7倍も熱く燃やすように命じた」と。そして、その炉の中に三人は投げ込まれます。 現実にはありえない漫画のような光景。いや、しかし、現実の人間の歴史は、これ以 上の想像を絶する悲惨な光景を現出させます。アウシュヴィッツ、広島、長崎、・・・ その燃え盛る炉の中で、どれほど真実な信仰者の祈りもむなしくかき消されるかのよ うです。このような現実にあって、唯一の神のみに従う信仰はどのように貫かれるの か、信仰者はどのようにこの現実の炉の火を耐えるのか、ダニエル書の物語は、驚く べき展開があることをわたしたちに見せてくれます。 物語は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴが試練に立ち向かい、自ら逃れる道 を見出して行った、という方向に進んで行きません。ネブカドネツァル王、彼らを燃 え盛る炉の中に投げ込むことを命じた当の本人の目に、投げ込んだはずの三人が焼け 死んでいないばかりか、「わたしには四人のものが火の中を自由に歩いているのが見 える。そして、何の害も受けていない。それに、4人目の者は神の子のような姿をし ている」と叫ぶような光景に接します。ネブカドネツァル王自身が彼らを炉の中から 呼び出して、彼らの前にひざまずくという事態になったのです。このようにして、燃 え盛る火のただ中から、三人は救い出されました。 この物語の中心的メッセージは何なのでしょう。三人の青年たちの不屈の信仰を称 えて、これに倣うようにということでしょうか。それとも、人間が造った偶像を礼拝 することのむなしさを悟ったネブカドネツァル王の回心物語なのでしょうか。いや、 神はどのように試練の中にあるものと共にあり、その御手がどのように伸ばされるか を告げています。「神は三人の僕を炎から救い出されたのではなく、炎の中で救いを 示されます。神はご自分の民を勝利の道によってではなく、十字架の道によって持ち 運ばれる。」
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