ダニエル書 4:25-34 エフェソの信徒への手紙 1:17-23
バビロンのネブカドネツァルが見た幻、世界のまん中にある大きな樹が見張りの天 使の一声で打ち倒され、根だけを残して夜露に濡れるものとなる、は、彼の身にその 通りに起こりました。王宮の屋上を散歩しながら、「なんとバビロンは偉大ではない か。わたしがこの都を建て、わたしの権力の偉大さ、わたしの威光の尊さを示すもの だ」と、「わたし、わたし」の連発によって示される彼の自己満足は、次の瞬間、天 からの声によって一転した悲惨な状況になります。「王国はお前を離れ、お前は人間 の社会から追放されて、野の獣と共に住み、牛のように草を食らい、7つの時を過ご す。こうしてお前はついに、いと高き神こそが人間の王国を支配するもので、神は御 旨のままにそれをだれにでも与えるのだということを知るであろう」という事態が。 このネブカドネツァルの経験は、わたしたちの誰にも起こる試練の経験をあらわし ています。わたしの物、わたしの国、わたしの力、わたしたちが生きている世界は、 すべて「わたし」と「わたしを支えているもの」と「自然の結び付き」によって成り 立っています。そこに安らって生きているのです。ところが、その自然と思われてい たわたしとわたしを支えるものとの絆が突然に切り離される経験、病や死や災害が襲 ってくるとき、わたしのものであったすべてがわたしから切り離されるのです。ここ には自分を中心に生きる人間を襲う試練のリアルな姿が描かれています。 ネブカドネツァルは、7年の獣の心への転落の時を経て、「目を上げて天を仰ぐと、 理性が戻って来た」と記されています。そして、「いと高き神をたたえ、永遠に生き る方をほめたたえた」のです。ここに、試練を経験する意義が語られています。神の 支配の中にある悲しみや苦しみは、時が定められています。そして、その時の間に、 わたしの国、わたしの力、わたしの栄光と思いこんで、世界のまん中に堅く立ってい ると思い込んでいる世界から、「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり」と天 の神に祈るものへと、立ち返って生きるためにあるのです。すると、王の威光は回復 し、増し加わりますが、もはや、わたしを讃美する思いは消え、神をほめたたえる者 となって生きています。
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