7月11日
2010年7月11日

「 終わりを告げる神の砦 」

ダニエル書 5:1-9 使徒言行録 12:20-25


 イスラエルから捕囚の民として捕え移されバビロンで生活するダニエルらは、ネブ

カドネツァル王の時代からベルシャツァル王の時代に変わります。ここでもまた王の

見た幻の話が展開します。千人の貴族たちと宮廷の女性たちを集めた大宴会がもよう

され、その席にエルサレムの神殿から運ばれた金銀の神を礼拝するために用いられた

祭具が持ちだされて、金、銀、青銅、木、石で造られた神々が讃えられる。世界の中

心にある王国の、威信をかけた祭典で、人間が造った偶像が讃えられ、まことの神が

貶められています。ところが、その宴席の真っただ中に、突然人の手が現れ、その指

で宮殿の壁に文字が書きつけられます。ベルシャツァル王は腰を抜かさんばかりに驚

き、震えおののく・・・。

 ここには、先のネブカドネツァル王によって学びとられた教訓は全く継承されてい

ません。わたし、わたしの連発によって示される彼の自己満足は、次の瞬間、天から

の声によって一転した悲惨な状況になりました。「王国はお前を離れ、お前は人間の

社会から追放されて、野の獣と共に住み、牛のように草を食らい、7つの時を過ごす。

こうしてお前はついに、いと高き神こそが人間の王国を支配するもので、神は御旨の

ままにそれをだれにでも与えるのだということを知るであろう」という事態を経験し、

いと高き神をたたえて、「すべて地に住むものは無に等しい」ことを悟り、「その道

は正しく。驕る者を倒される」ことを知ったのでした。この貴重な経験が親から子へ、

最も継承されるべきものが継承されないで、目に見えるもの、この世的なものだけが

継承されてゆく、このようにして、衰退と没落の過程をたどるのはバビロンの王国に

限りません。わたしたちの状況はどうでしょうか。

 それにしても、突然に現れた「人の手の指」と白い壁に描かれた不思議な文字に驚く

王の様は、いささか大げさにすぎるのではないでしょうか。たかが幻にすぎないもの

にこれほど驚くのは、自らの中に真の神を冒とくしているとの本能的なやましさと恐

れがあって、強気で傲慢にふるまっているその裏の心がはしなくも暴露された姿と言

えないでしょうか。自らの高ぶりの中に酔いしれている我を一挙に突き破る神の指、

それが描き出す文字と印、それはわたしたちには主の十字架のしるしのようにも思え

ます。

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