ダニエル書 5:10-30 コリントの信徒への手紙二 5:11-21
バビロンの宮廷で行われた大宴会のさなか、突然現れた人の手、その指で白い壁に 描かれる不思議な文字にベルシャザル王も居並ぶ貴族たちも震えおののきます。そこ で登場するダニエル。いと高き神の霊によって、その指が現れた意味と、そこに描か れた文字を読み解きます。ダニエルが王に語る言葉は、まるで小さな子供に対するよ うに、それを聞く王は、悪さを叱られている子どものように小さくなっているのが滑 稽です。 ダニエルは、まず王に対して、先王ネブカデネツァルの時代に経験した貴重な体験 が継承され、学ばれでいないことについて反省を促します。先王は繁栄と権力の絶頂 にあった時、それを、わたしの国、わたしの力、わたしの栄光と思いこんで、世界の まん中に堅く立っていると思い込んでいましたが、追放、孤独、狂気の世界につき落 とされて、その挫折の経験を経て、「国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり」 と、天の神に立ち返って生きるようになったのです。そこから、思いのままに独裁的 に権力を振るう恐怖政治から、神の御旨に従って、正義と愛を実践し平和の道を目指 す政治へと復帰したのでした。先王の低くされた経験によってかち得た人類全体が教 訓とすべき真理が継承されないで、ただ表面的な物質的なものや目に見えるものだけ が次の世代に受け継がれる様は、わたしたちにも耳の痛い話です。 どのように学ぶべきものが学ばれていないのか、ダニエルの指摘は明確です。神の 前にへりくだることをしなかったこと、真の神を侮り、神聖なものをけがしたこと、 金や銀、木や土で造られた神ならぬ神々をほめ讃えたこと、です。これに対して天の 神について、「あなたの命と行動の一切を手中に握っておられる神、あなたの息、あ なたの道のすべてを御手の内においておられる神」と語られているのは印象的です。 まさにこの逆転が問題です。真実のものが軽く扱われ、空虚なものが真実であるかの ように重んじられる、その壮大な虚構に対して、バビロンの宮廷には神の指が現れて、 「メネ。メネ。テケル。ウパルシン」、「数えられた、数えられた、量られた、二つ に分けられる」と警告されたのでした。わたしたちの世代には、神の指は文字を何と 描くのでしょう。
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