ダニエル書 6:1-18 ペトロの手紙一 4:12-19
時は移って、バビロンの支配からペルシャの支配へ。ダニエルが捕囚として異郷の 地に過ごす間にも、この世の支配は移り変わります。ペルシャの王はダレイオス、現 代のペルシャ語ではダルヴィッシュ、同じ名前の人がプロ野球選手にもいますね。ダ ルヴィッシュ王はダニエルを「優れた霊が宿っている人」と認めて、他の総督や大臣 の上に立つ王国全体を治める大臣として高く用いますが、それがために、他の総督や 大臣のねたみを受け、はかりごとによって陥れられ、獅子の洞窟に投げ込まれてしま いました。ここには、この世に生きる信仰者が、まさにその信仰のゆえに試練を受け る、典型的な情景が描き出されます。 ダルヴィッシュ王は、先のバビロンの王たちのように自らを神のごときものとして 高ぶり、その夢が打ち砕かれるといったかたちで、神の僕ダニエルを窮地に陥れたの ではありません。ダニエルの異例の昇進をねたむ部下たちの、いかにも国のことを考 えた良いと思われる献策の裏に潜む悪意と陰謀に気づかなかったところから、自らは 望まない形で神に敵対することになりました。この世に生きる者が陥る多くの罪のか たちです。「ダニエルを陥れるには、その信じている神の法に関して何かの言いがか りをつけるほかはない」ということから、「向こう30日間、王を差し置いて他の人 間や神に願い事をする者は、誰であれ獅子の洞窟に投げ込まれる」との禁令に王の署 名をしてしまったのです。そして、計画通り、ダニエルが神に礼拝している姿をとら えられて、告訴され、ダニエルは獅子の洞窟に投げ込まれました。 ダニエルが、その禁令に接した時の態度について、聖書が伝える言葉はわたしたち の心を打ちます。「家に帰るといつもの通り二階の部屋にはいり、窓際にひざまづき、 日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた」とあります。ダニエルの心には、神に 従うべきか王に従うべきかの葛藤はありません。獅子の穴に投げ込まれる恐怖、これ までの地位や積み上げてきたものへの顧慮もありません。「いつもの通り、祈りと賛 美を神にささげる」、それ以上でも以下でもありません。大慌てして、神に救いを求 めているのは、ダルヴィッショ王その人です。
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