ダニエル書 8:15-27 マルコによる福音書 13:3-23
ダニエルの見た幻、二本の角を持った雄羊や、次に現れた雄山羊、そして、一本の 小さな角が生え出て、非常に強大になり、荒廃をもたらす最も凶悪なものとして描か れているのは、紀元前2世紀のユダヤを支配した、アンティオコス・エピファネスに よる圧政のことをあらわしており、これがダニエル書の時代に直面している現実です。 旧約外典のマカバイ書を読むと、具体的にその支配がどんなものであったかがわかり ます。聖所の金銀の略奪と破壊、エルサレムの破壊と要塞化、異邦人文化受け入れの 強要、安息日やその他の祭礼の廃止、割礼の禁止と、立て続けに徹底的にユダヤの宗 教と文化を打ち壊そうとし、王の命令に従わない者は死刑に処せられることになった のです。「天の万軍を供え物と共に打倒して罪をはびこらせ、真理を地に投げ打ち、 思うままにふるまった」と書かれているのはそのような行状のことです。 興味深いことに、ダニエルがこのような悪の支配の様相を語るとき、その支配の巧 妙さと才知が強調されていることです。凶悪さの中に、それを支える狡猾さと知恵が ある、そして、それを行う者には平穏さがある、と見ているのです。「麗しの地」に まで手を伸ばし、力ある者・聖なる民を滅ぼし、君の君、天の万軍の長にまで手を伸 ばしと、その権力の行使にはとどまるところがありません。まさにこれが、この世を 支配する者の実態です。この世の本質を見るわたしたちの目も、このような言葉によ って鍛えられねばなりません。 しかし、この支配もやがて、「人の手によらずに滅ぼされる」終わりが来ます。 「罪悪が極みに達した時に」終わりが来るというのです。ダニエルは、現実の悲惨の 時に生きつつ、幻によって次の時を見て生きています。歴史の時は人間が造り出すも のではなく、神の計画に従って移って行くものと知っているからです。神のもたらす 終わりの時への移行は、自然で中立的なものではありません。裁きがあり、主イエス が語られるように、今泣いているものが笑い、今笑っているものがなくようになる逆 転があるのです。このような時にそなえて、希望を持って生きること、ここに信仰者 の独特の生き方があります。
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