9月12日
2010年9月12日

「 時の終わりに臨んで 」

ダニエル書 8:15-27 マルコによる福音書 13:3-23


 ダニエルの見た幻、二本の角を持った雄羊や、次に現れた雄山羊、そして、一本の

小さな角が生え出て、非常に強大になり、荒廃をもたらす最も凶悪なものとして描か

れているのは、紀元前2世紀のユダヤを支配した、アンティオコス・エピファネスに

よる圧政のことをあらわしており、これがダニエル書の時代に直面している現実です。

旧約外典のマカバイ書を読むと、具体的にその支配がどんなものであったかがわかり

ます。聖所の金銀の略奪と破壊、エルサレムの破壊と要塞化、異邦人文化受け入れの

強要、安息日やその他の祭礼の廃止、割礼の禁止と、立て続けに徹底的にユダヤの宗

教と文化を打ち壊そうとし、王の命令に従わない者は死刑に処せられることになった

のです。「天の万軍を供え物と共に打倒して罪をはびこらせ、真理を地に投げ打ち、

思うままにふるまった」と書かれているのはそのような行状のことです。

 興味深いことに、ダニエルがこのような悪の支配の様相を語るとき、その支配の巧

妙さと才知が強調されていることです。凶悪さの中に、それを支える狡猾さと知恵が

ある、そして、それを行う者には平穏さがある、と見ているのです。「麗しの地」に

まで手を伸ばし、力ある者・聖なる民を滅ぼし、君の君、天の万軍の長にまで手を伸

ばしと、その権力の行使にはとどまるところがありません。まさにこれが、この世を

支配する者の実態です。この世の本質を見るわたしたちの目も、このような言葉によ

って鍛えられねばなりません。

 しかし、この支配もやがて、「人の手によらずに滅ぼされる」終わりが来ます。

「罪悪が極みに達した時に」終わりが来るというのです。ダニエルは、現実の悲惨の

時に生きつつ、幻によって次の時を見て生きています。歴史の時は人間が造り出すも

のではなく、神の計画に従って移って行くものと知っているからです。神のもたらす

終わりの時への移行は、自然で中立的なものではありません。裁きがあり、主イエス

が語られるように、今泣いているものが笑い、今笑っているものがなくようになる逆

転があるのです。このような時にそなえて、希望を持って生きること、ここに信仰者

の独特の生き方があります。

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