ダニエル書 9:20-27 ヨハネの黙示録 20:1-10
エルサレムの解放まで70年という年数が預言者エレミヤによって示されていること の意味を問うなかで、ダニエルの罪を告白する祈りが展開されていました。この祈り に続いて、天使ガブリエルが70年の意味を解明する言葉が語られます。そのはじめの 言葉、「お前が祈りはじめたその時」その祈りは天に聞かれていたと告げますが、こ の語は原語では、「穴を穿つ」、「窓を開ける」という語からできていて、祈りが、 まさに神と人、天と地との隔壁に穴を穿つ行為であることを思い起こさせます。 ガブリエルはエレミヤの語った70年について、「逆らいは終わり、罪は封じられ、 不義は償われる。とこしえの正義は到来し、幻と予言は封じられ、最も聖なる者に油 が注がれる」、その時までの70年について3つの時があると語ります。はじめの7 週、比較的安定した次の62週、最後の1週、この最後が問題です。「油注がれたも のは不当に断たれ、都と聖所は次に来る指導者の民によって荒らされる。その終わり には洪水があり、終わりまで戦いが続き、荒廃は避けられない。彼は1週の間、多く のものと同盟を定め、半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に 荒廃をもたらすものが座す」このような最後の危機と荒廃の時を経て先の真の解放の 時が来ると語られるのです。福音書のある小黙示録とよばれる主イエスの語られた最 後の時の預言の言葉は、このダニエル書の言葉に根差していますし、また、初代のキ リスト教会も、この言葉によって主イエスの生涯の意味を聞き取りました。また、主 の再臨を待望する信仰でも、このダニエル書のタイム・テーブルがよく引き合いに出 されます。ダニエル書自体は、この書が書かれるまでのバビロン、ペルシャ、ギリシ ャと続くイスラエルが被った異国支配の現実的な歴史を物語り、最後にアンティオコ ス・エピファネスの神殿礼拝破壊の暴挙とそこからの解放の希望のことを告げている と言われます。「油注がれた者」すなわちメシヤ・キリストという言葉が出てきます ので、そこからさまざまなイメージが広がり、その言葉の隠された意味を汲み取ろう とするのは当然です。この預言は、それぞれに置かれた時が今どの時に当たっている かを展望させます。
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