10月17日
2010年10月17日

「 主よ、お語りください 」

サムエル記上3:1-14; コリントの信徒への手紙一 16:1-11


 預言者のサムエルが神さまの語りかけを初めて聞いた出来事は、よく知られていま

す。今、わたしたちも、主なる神の声を聞いて、この時代の中で新しい生き方を始め

る時だと思います。

「その頃、主の言葉が臨むことはまれであった」と記されています。イスラエルの民

がエジプトの奴隷の家から解放されて、しばらくの時がたちました。すると、すっか

り神さまのことを忘れて、自分勝手な生き方が蔓延していたのです。「イスラエルに

は王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。神の言葉を聞く

ことなく、自分が神のようになって正しいことを行おうとする時、そこには、争いと

混乱、暗黒と混沌の世界が広がります。シロには神の祭司エリがいて、人々の供え物

を受け、礼拝をしていましたが、そのシロの聖所そのものも、エリの息子たちの悪行

によって、全く祭司の私腹を肥やす場になっていました。このような時代に、主の言

葉を聞き、その言葉によって確かな道を見出し、世界を導く人としてサムエルが立て

られているのです。み言葉の飢饉が世界を覆う時、一人の少年によって神と人とを隔

てる厚い壁が打ち破られ、新鮮な空気と水、いのちを与える食べ物、生きた交わりが

回復することになりました。

 その突破口を開く出来事。サムエルが聖所に一人で寝ている時、「サムエルよ」と

いう呼びかけを聞いたのでした。最初、エリの所に行って、「わたしはここにいます。

お呼びになりましたか」と問うても、エリは自分は呼ばない、と答えます。こんなこ

とが3度もあってから、エリは気付きます。サムエルを呼んでいるのは、主なる神ご

自身なのだ、と。そこで、サムエルに、今度呼びかけがあったら、「わたしは聞いて

います、主よ、お語りください」と言うように教えました。「サムエルは主を知らな

かったし、主の言葉は彼にまだ示されていなかった」というのです。主を知らなかっ

たはずはないのですが、人から教えられた知識や習慣だけで知っていた主を、主が語

りかけて下さることによって、はじめて知る、ということになったのです。まさにこ

の呼びかけによって閉ざされていた扉が開きました。その通路の開き方は簡単です。

「主よ、お話し下さい。あなたの僕は聞いています」と答えさえすればいいのですか

ら。それは今日のわたしたちも同じです。

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