サムエル記上3:1-14; コリントの信徒への手紙一 16:1-11
預言者のサムエルが神さまの語りかけを初めて聞いた出来事は、よく知られていま す。今、わたしたちも、主なる神の声を聞いて、この時代の中で新しい生き方を始め る時だと思います。 「その頃、主の言葉が臨むことはまれであった」と記されています。イスラエルの民 がエジプトの奴隷の家から解放されて、しばらくの時がたちました。すると、すっか り神さまのことを忘れて、自分勝手な生き方が蔓延していたのです。「イスラエルに は王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。神の言葉を聞く ことなく、自分が神のようになって正しいことを行おうとする時、そこには、争いと 混乱、暗黒と混沌の世界が広がります。シロには神の祭司エリがいて、人々の供え物 を受け、礼拝をしていましたが、そのシロの聖所そのものも、エリの息子たちの悪行 によって、全く祭司の私腹を肥やす場になっていました。このような時代に、主の言 葉を聞き、その言葉によって確かな道を見出し、世界を導く人としてサムエルが立て られているのです。み言葉の飢饉が世界を覆う時、一人の少年によって神と人とを隔 てる厚い壁が打ち破られ、新鮮な空気と水、いのちを与える食べ物、生きた交わりが 回復することになりました。 その突破口を開く出来事。サムエルが聖所に一人で寝ている時、「サムエルよ」と いう呼びかけを聞いたのでした。最初、エリの所に行って、「わたしはここにいます。 お呼びになりましたか」と問うても、エリは自分は呼ばない、と答えます。こんなこ とが3度もあってから、エリは気付きます。サムエルを呼んでいるのは、主なる神ご 自身なのだ、と。そこで、サムエルに、今度呼びかけがあったら、「わたしは聞いて います、主よ、お語りください」と言うように教えました。「サムエルは主を知らな かったし、主の言葉は彼にまだ示されていなかった」というのです。主を知らなかっ たはずはないのですが、人から教えられた知識や習慣だけで知っていた主を、主が語 りかけて下さることによって、はじめて知る、ということになったのです。まさにこ の呼びかけによって閉ざされていた扉が開きました。その通路の開き方は簡単です。 「主よ、お話し下さい。あなたの僕は聞いています」と答えさえすればいいのですか ら。それは今日のわたしたちも同じです。
秋山牧師の説教集インデックスへ戻る