ダニエル書11:18-36; ルカによる福音書 12:49-56
ダニエル書の最後の幻は、ヘレニズムの時代、北の王(セレウコス朝のシリア)と 南の王(プトレマイオス朝のエジプト)の覇権争いによって、聖書の世界が翻弄され る歴史状況を象徴的な言葉によって表現しています。はじめ南の王が優勢であったが 次第に北の王が優勢になり、イスラエルもその支配のもとに組み込まれることになり ますが、11:21以下に「代わって立つ者は卑しむべき者で王としての名誉は与え られず・・・」と称される王こそ、イスラエルの宗教にとって最大の危機をもたらし たアンティオコス4世・エピファネスのことで、この王が、南の王、すなわちプトレ マイオス7世との覇権争いが、その頃台頭してきたローマの介入によって不首尾に終 わった腹いせに、イスラエルの聖所の宝物を略奪し、聖所の祭儀をやめさせ、異教の 礼拝を持ちこむように強要すると言った暴挙に出ます。このことが、「聖なる契約に 逆らう思いを抱いてほしいままにふるまう」とか、「再び聖なる契約に対し、怒りを 燃やして行動し、・・・砦すなわち聖所を壊し、日ごとの供え物を廃止し、憎むべき 荒廃をもたらすものを立てる」といった表現で表されています。旧約外典のマカバイ 書には詳しくこの時代のことが記されており、このような時代状況の中でマカベヤ一 族が立ちあがり、ついに独立を勝ち取ることになるのですが、ダニエル書では、それ を英雄的な取り扱い方をしていません。「民の目覚めた人々は多くの者を導くが、あ る期間、剣にかかり、火刑に処せられ、捕らわれ、略奪されて倒される。こうして倒 れるこの人々を助ける者は少なく、多くの者は彼らにくみするが、実は不誠実である。 これらの指導者の何人かが倒されるのは、終わりの日に備えて練り清められ、純白に されるためである」と。そして、「まだ時は来ていない」と語ります。神の民にとっ ては天地が覆されてしまうような出来事に出会っても、冷静に、時を数えているので す。その“時”とは、神が定めておられる時で、その時の中で、聖所や礼拝さえも汚 されることが明らかにされ、しかも、まだ「時は来ていない」すなわち終わりの時で はない、と告げられています。しかし、未完の時も、確かな終わりの時から見る時、 終わりに至る確かな1ステップとなる、このような時に生きていることを明らかに示 します。
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