10月24日
2010年10月24日

「 まだ、時は来ていない 」

ダニエル書11:18-36; ルカによる福音書 12:49-56


 ダニエル書の最後の幻は、ヘレニズムの時代、北の王(セレウコス朝のシリア)と

南の王(プトレマイオス朝のエジプト)の覇権争いによって、聖書の世界が翻弄され

る歴史状況を象徴的な言葉によって表現しています。はじめ南の王が優勢であったが

次第に北の王が優勢になり、イスラエルもその支配のもとに組み込まれることになり

ますが、11:21以下に「代わって立つ者は卑しむべき者で王としての名誉は与え

られず・・・」と称される王こそ、イスラエルの宗教にとって最大の危機をもたらし

たアンティオコス4世・エピファネスのことで、この王が、南の王、すなわちプトレ

マイオス7世との覇権争いが、その頃台頭してきたローマの介入によって不首尾に終

わった腹いせに、イスラエルの聖所の宝物を略奪し、聖所の祭儀をやめさせ、異教の

礼拝を持ちこむように強要すると言った暴挙に出ます。このことが、「聖なる契約に

逆らう思いを抱いてほしいままにふるまう」とか、「再び聖なる契約に対し、怒りを

燃やして行動し、・・・砦すなわち聖所を壊し、日ごとの供え物を廃止し、憎むべき

荒廃をもたらすものを立てる」といった表現で表されています。旧約外典のマカバイ

書には詳しくこの時代のことが記されており、このような時代状況の中でマカベヤ一

族が立ちあがり、ついに独立を勝ち取ることになるのですが、ダニエル書では、それ

を英雄的な取り扱い方をしていません。「民の目覚めた人々は多くの者を導くが、あ

る期間、剣にかかり、火刑に処せられ、捕らわれ、略奪されて倒される。こうして倒

れるこの人々を助ける者は少なく、多くの者は彼らにくみするが、実は不誠実である。

これらの指導者の何人かが倒されるのは、終わりの日に備えて練り清められ、純白に

されるためである」と。そして、「まだ時は来ていない」と語ります。神の民にとっ

ては天地が覆されてしまうような出来事に出会っても、冷静に、時を数えているので

す。その“時”とは、神が定めておられる時で、その時の中で、聖所や礼拝さえも汚

されることが明らかにされ、しかも、まだ「時は来ていない」すなわち終わりの時で

はない、と告げられています。しかし、未完の時も、確かな終わりの時から見る時、

終わりに至る確かな1ステップとなる、このような時に生きていることを明らかに示

します。

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