11月7日
2010年11月7日

「 終わりの時に至って 」

ダニエル書11:36-45; ヘブライ人への手紙12:25-29


 ダニエル書の最後の幻、南の王と北の王の覇権を争う戦いの終極が語られます。

北の王アンティオコス4世エピファネスの聖地エルサレムとそこに住む契約の民に

対する激しい迫害、「聖なる契約に対して怒りを燃やして行動し、・・・剣にかか

り、火刑に処せられ、捕えられ、略奪される」という時期、ここでは、「しかし、

まだ終わりではない」という言葉が語られます。これに続いて、この王がいかに驕

り高ぶり、自分を神よりも高いものと考えたかが語られます。「すべての神にまさ

る神に対して恐るべきことを口にする。・・・神を尊ばず、自分を何ものにもまさ

って偉大であると思う」と、まことに自己中心的な振る舞いが強調されています。

実際にアンティオコス王はその時代に鋳造された貨幣には、自分の肖像と共に“ア

ンティオコス・セオス・エピファネス”(「アンティオコス・神の顕現」の意)と

刻ませていました。人々は、陰では“エピマネス”(「気ちがい」の意」)と呼ん

でいましたが・・・。このような人間(王)の驕り高ぶり、冒涜が、一時的とはい

え許される、自分を神より高いと考える人間のふるまいが、制御されることなく世

界を席捲する時があることをこの幻は認めているのです。そして、その支配に対し

て「目覚めた人」が立ちあがっても、無謀な抵抗として、無残に鎮圧され、ただ

「終わりの日に備えて練り清められるため」の日々としての意義が認められるだけ

だ、と。確かに、わたしたちはこのような非情な現実を見ます。今もその時を経験

している、とも言えます。

 40節以下には、「終わりの時に至って」という言葉と共に、南の王が大反撃に

出て失地を取り返そうとしますが、北の王はこれにまさる軍隊「戦車、騎兵、大船

隊をもって進軍し」ついに、エジプト、リビア、クシも自分の領地に収めますが、

北の方の反乱の知らせにより大急ぎで取って返します。その途次にあえなく死んで

しまう。実際に163BCにパルティアの反乱の鎮圧に向うさなか、病死するとい

う結果になりました。このような歴史から、わたしたちは何を学ぶことができるで

しょうか。「盛者必衰の理」でも、「因果応報の例」でもなく、ここには特別な歴

史観が貫かれています。時は神のもの、神が計画された定められた時に従って動く、

ということです。闇の時もまた、神の中にある時です。


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