11月21日
2010年11月21日

「 星のように輝く人々 」

ダニエル書12:1-4; フィリピの信徒への手紙2:12-18


 ダニエル書の夢や幻を通して、わたしたちはイスラエルの民が2〜4BCに実際

に経験した苦難の歴史を見てきました。特に北の王アンティオコス4世エピファネ

スの時の契約の民に対する迫害のことを知りました。その最後、12章に至って、

神の介入によってもたらされる大団円の情景が印象深く語られます。「大天使ミカ

エルが立ち・・・」という時に始まり、「国がはじまって以来かつてなかったほど

の苦難が続く」、その苦難のただ中に「救いの時が来る」、というのです。その時

の訪れは、人間の時、地上の時の積み重ねや連続性の中で起こるのではありません。

突然に、予期しない形であらわれ、命の署に名を記されている者には待望の救いの

時が訪れます。大天使ミカエルが立ち上がることによっておこる救いの時は、ただ

生き残っている人々にだけ救いの時となるのではありません。「多くのものが地の

塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は、永久に続く恥

と憎悪の的となる」と語られています。旧約聖書の中で死者の復活に触れている数

少ない箇所の一つがここにあります。「地の塵の中からの目覚め」という美しい表

現を通して語られていることは、一方で死の無情さ、虚しさが捉えられています。

神を信じ、この世で目覚めて生きてきた故に、「ある者は剣にかかり、火刑に処せ

られ、捕らわれ、略奪されて倒される」という試練の中で報われないままで死ぬ、

このような人々の死が「塵の中の眠り」です。しかし、この人々は永遠の命に向っ

て目覚め、「大空の光のように輝き、多くの人の救いとなった人々はとこしえに星

と輝く」というのです。しかし、塵の中からの目覚めは、もう一つの種類の目覚め

があります。地上で暴虐の限りを尽くした人々には、永久に続く恥と憎悪に向う目

覚めがある、と。

 ここに描かれている復活のイメージは、単に死後の生についての願望、死への恐

れを忘れさせるための麻薬として語られているものではありません。神の時の中で

起こること、天と地の創造者、命を造り、すべての時を支配しておられる方の計画

の中にある事実として語られています。わたしたちも主イエスと共にある目覚めの

時に向って、生きているのです。 

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