11月28日
2010年11月28日

「 終わりまでお前の道を行け 」

ダニエル書12:5-13; ヨハネの黙示録22:6-13


 ダニエル書の最後は、北の王と南の王の覇権をめぐる闘争と、それに翻弄される

「契約の民」すなわち、イスラエルの民の苦難について語られたことを受けて、

「この驚くべき時はいつまで続くのですか」という問いと、「これらのことの終わり

はどうなるのでしょうか」という二つの問いと、それぞれの問いに対する答えから

構成されています。いつまで続くのかに対しては、「一時期、二時期、半時期」と

いう答えがあり、これは謎のような言葉ですが、おおよそ3年半の年限が示されて

います。注目すべきところは、この期間に「聖なる民の力が全く打ち砕かれると、

これらのことはすべて成就する」と語られていることです。人間の力が全く無力化

される時こそ、神の時、救いの時、「地の塵の中の眠りの時からの目覚め」の時が

来る、というのです。

 第2の問いに対しては、はっきりした答えは与えられません。「ダニエルよ、も

う行きなさい。終わりの時までこれらのことは秘められ、封じられている」と語ら

れるだけです。しかし、それに加えて、「多くの者は清められ白くされ、練られる。

逆らう者は逆らう。逆らう者は誰も悟らないが、目覚めた人は悟る」と意味深長な

言葉が語られます。ヨハネの黙示録の終わりにもよく似た表現があります。「不正

を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れたままにしておけ。正し

いものは、なお正しいことを行わせ、聖なる者はなお聖なる者とならせよ」(22:

11)と。罪に満ちた人間の時がもつれ合って、さまざまなカタストローフを現出

する世界の現実の中に、神の時が突入してくる時、すべてのものが浄化されて救済

に向うのでなく、すべてが滅びに向うのでもなく、冷徹な二つの方向に向かう裁き

があることが語られています。そのように語ったうえで、「終わりまでお前の道を

行き、憩いに入りなさい」と勧められるのです。

 ここには、人間の時の中を生きながら、神の時を信じ待ち望む信仰者の揺るがな

い生き方が勧められているのは確かです。しかし、ここには、罪を赦され、立ち帰

ることがなければ、自らは滅びを待つ他はない人間の「贖い」については何も語ら

れていません。その意味で、この書は新約聖書に向って開いている。主イエスの生

と死、復活を通して与えられる贖いを待ち望んでいます。

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