12月26日
2010年12月26日

「御父と御子イエス・キリストの交わりの中に 」

イザヤ書 61:1-11; ヨハネの手紙一 1:1- 2:2


 ヨハネの手紙一の冒頭の言葉は、わたしたちのキリスト教の信仰が何であるかを

端的に言い表しています。すなわち、わたしたちの信仰は「いのちの言」である主

イエス・キリストから聞くことによって、御父と御子イエス・キリストとの「交わり」

に入れられること、と教えられるのです。

 「命の言」について、不思議なことが言われています。「初めからあったもの、

わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手で触ったもの」と言われ、そ

の命の言葉は、「御父と共にあったが、わたしたちに現れた永遠の命」であると。

ここに言う「言」(ロゴス)は、わたしたちが日常で使う言語よりもっと根源的な

言葉を意味しています。はじめからあったもので、「万物はこれによってできた。

これによらないものは何一つなかった」という、存在しているすべてのものを存在

させている言葉そのもののことです。よく考えると、この「ことば」は隠されてい

るもの、秘められたものであって、その「真理・本質」を知ることに向って、人類

はすべての努力を傾注しているというべきものでしょう。しかし、聖書は、わたし

たちはこれを見た、聞いた、手で触った、と言います。主イエス。キリストを見る

こと、その言葉を聞くこと、知ることが、このような根源に触れること、その言葉

の命によって生きることであることを明らかにしているのです。主イエスを知る驚

きと喜びの表現の極致です。

 しかも、「いのちの言」によって生きることは、「交わり」に入れられることが

明らかにされます。御父と御子イエス・キリストとの交わりです。御父との交わり

について、「神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によってわたしたち

が生きるようになるためです。ここに神の愛がわたしたちの内に示されました」(4:9)

と記され、また御子との交わりについて「イエスは、わたしたちのために、命を捨

ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました」(3:16)

と記されています。命の言葉との交わりは、このように御父と御子のわたしたちに

対する愛によって始まり、支えられる交わりです。わたしたちの信じる力や知恵に

よる行為ではなく、御父と御子とのこの交わりに入れていただくこと、ここにわた

したちの信仰があります。


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