10月31日
1997年10月31日

「本当の自由を得るために」

ガラテアの信徒への手紙2章11−21


 今から480年前の10月31日、マルティン・ルターは95箇条からなる当時

のローマ・カトリック教会に対する抗議文を提示し、キリストの教会が福音の真理

に従ってまっすぐに歩くことを求めました。やがて教皇に破門された改革者たちの

教会から現在の福音主義の教会が生まれました。これがわたしたちの教会のルーツ

です。

 福音の真理に従ってまっすぐに歩くということはどのようなことでしょうか。ガ

ラテア書でパウロが伝えるアンテオケ教会での出来事。最初異邦人と一緒に食事を

していたペテロがエルサレムからの人たちが来たとき、食卓の交わりから次第に身

を引き、他のユダヤ人たち、バルナバまでもそれに追随しました。キリストの教会

のなかにユダヤ人と異邦人との超えがたい隔ての壁が次第に顕在化していく中で、

パウロは激しく公然とペテロに訴えます。福音の真理によってまっすぐに歩いてい

ないと見たからです。

 ペテロは何を恐れたのでしょう。律法に違反していると非難されることを恐れた

のか。ペテロはすでに「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人

間には与えられていない」(使徒言行録4.12)と大胆にユダヤ人の議会の前で語って

います。異邦人がキリストによる救いに入れられることについても、天からの幻に

よって「神が浄いとされたものを、人がきよくないなどと言ってはならない」とい

う言葉を聞いています。いずれにせよ、ペテロの恐れは、イエス・キリストに対す

る思いの中途半端さ、彼のために十字架にかかって下さり、すべての罪を赦し、信

じるものに聖霊を注いで復活のいのちにあずからせて下さる、その完全な新しさに

完全に委ねることを留保しているところからきています。人間的な資格やユダヤ人

の割礼の価値、律法の行いによって救われることに半分の信頼を置いています。キ

リストに対する半分の信頼は異邦人を受け入れるという冒険的な事態に対しても半

分のことしかできません。全面的で全身で他者の痛みや悲しみを共にすることがで

きないのは、このようなキリストの恵みに半分しか信頼できていないことから来て

いるのです。福音の真理に従ってまっすぐに歩くということは、なによりも、キリ

ストの無条件の赦しの恵みを、全身で、全面的に受け入れ、その恵みに完全に身を

委ねることからはじまります。そのために自分を捨てなければなりません。その闘

いが勝利に導かれるとき、わたしたちと他者との関わりもまた、全面的に受け入れ

ることができるものとなるでしょう。全面的な信頼に向かってのうちなる歩みが、

福音の真理に従ってまっすぐに歩む外なる歩みになるからです。

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