創世記5章1−12
創世記を読む人は誰でも、5章の長々と続く系図にうんざりします。ここから神 の言葉に接し、命の糧をいただいたという経験を持つ人は珍しいでしょう。しかも 一人一人の寿命は900歳を超えています。この系図によって聖書は私たちに何を 伝えようとしているのでしょう。 ここにはアダムからノアに至るまでの10代の系図があります。11章10−3 2のノアまでが約1000年、ノアから神の契約の民の父となったアブラハムまで が約1000年と数字が調整されているようです。 ノアまでの平均寿命は857.5歳、神が取られたのでいなくなったエノクを除 くと912歳の信じがたいほどの長命です。セムからアブラハムまでの10人の平 均寿命は317.8歳、前の10人の約3分の1です。子供が産まれた歳も約3分 の1に下がっています。アブラハムは147年、イサク180年、ヤコブは147 年、ヨセフは110年と世代が下がるほどに人間の寿命は短くなっています。神に 作られた人間は、年がたつにしたがって死に支配されることが多くなっているとい うことでしょう。 しかし、900年に及ぶ長い生涯は、生まれ、息子や娘をもうけて、死んだとい う、まことに単調なものです。もっとも長生きしたメトシェラの死んだ年は165 6年、洪水の年、明らかに洪水によって死んでいます。この意味では、この系図は、 健康だけが生きがい、長生きが至福という人生観、現代の健康食品や延命のみに異 常な関心を持つ医療に対してク−ルです。神に造られた人間の本来の寿命は900 年におよぶ可能性があるが、それは生まれ、もうけ、死ぬという内容以上のもので はない。しかも、そのようにして重ねられる世代は洪水によって全滅されるのです。 ここから、「空の空、いっさいは空である」というコヘレトの結論に向かうのも 容易です。しかしこの系図はもっと別のところを見ているようです。1代目のアダ ムと7代目のエノクと、10代目のノアが注目に値します。神のかたちにかたどっ て造られたアダムは、「自分に似た、自分にかたどった男の子」セトをもうけてい ます。どこかで神の像は人間にの残されているのです。「神がお取りになった」と いう終わりを持ったエノクと慰めの子ノアは、「神と共に歩んだ」故に特異な生涯 を送っています。「生まれ、もうけ、死んだ」という単調さを破り、人生を他の質 のものに変えるのは、共通して、「神と共に歩んだ」ということによっているので す。