イザヤ書 60:1-7 ; エフェソの信徒への手紙 3:1- 13
エフェソの信徒への手紙には、主イエス・キリストによってわたしたちの世界に 平和の福音がもたらされたことが力強く語られています。「ご自分の肉において敵 意と言う隔ての壁を取り壊し、・・・をご自分において一人の新しい人に造り上げ て平和を実現し・・・」と、主イエス・キリストの十字架の死と復活による和解の 働きによってもたらされる平和が語られているのです。主イエス・キリストによる 和解の働きが強調されるとともに、この平和の福音の「秘義性」が強調されている ことも見逃してはなりません。これは神の特別な計画に基づくもので、「この計画 はキリスト以前の時代には人の子には知らされていませんでした」とか、「すべて のものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画」、と いう言葉で繰り返しその秘義性が語られ、その計画が、今やキリストによって実現 し、霊によってキリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示され、そして「使徒 の内の最も小さい者」であるパウロにもこの特別な任務が託されたことだ、という のです。 「平和の福音」と言う言葉は耳に心地よく、誰でも、どこの社会や国にあっても喜 んで受け入れられる言葉に聞こえます。主イエス・キリストによって神の愛は全人 類に及び、キリストに学びキリストと結ばれることによって、全人類が一致し世の 中が平和になる、これは世々のキリスト教会が思い描き、また宣べ伝えてきた言葉 です。世界中にキリスト教の福音が広がり、すべての民が受け入れて「平和の福音」 は既にその形をあらわしているとも言えます。しかし、この秘義性が強調されてい ることは、多数者が少数者を圧迫し抑え込むことによってもたらされる安易な平和 の福音ではないことをあらわしています。世の初めから隠され、キリストによらな ければ実現しない平和なのですから。 「平和の福音」が具体的に実現する状況として、この書では、異邦人、つまり ユ ダヤ人以外の人々も、「キリストにおいて約束されていたものをわたしたちと一緒 に受け継ぐ者、一つの体を構成する者、共に祝福を分かち合うもの」となる、その よう平和のことを言い表しています。実にわたしたちに与えられている平和は、こ のような主の贖いなしには起こり得ない平和なのです。
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