エステル記 2:1-14 ; ペトロの手紙一 2:11- 17
ペルシャ王アハシュエロスは、宮廷の酒宴の席に美貌の王妃ワシュティを呼びだ そうとしましたが、ワシュティがそれを拒絶したために、王妃は失脚させられてし まいました。次の情景は、新しい王妃を選ぶために国中の若い美しい女性を宮廷に 集めて次の王妃選びが行われ、その中からユダヤから捕囚として連れられてきたエ ステルと、モルデカイが登場し、エステルが多くの女性の中からついに王妃に選ば れるということへと物語は展開します。しかし、この物語には単純なお姫様物語で はすまないいくつかの陰が潜んでいます。 「怒りのおさまった王は、ワシュティとその振る舞い、彼女にくだした決定を口に するようになった」と語られています。「口にするようになった」は、「思い起こ す」ということで、王の一時的な怒りや、軽率で性急な決定を思い起こし、正気を 取り戻す思い起こしであるはずです。キリスト者が聖餐によって主の死を思い起こ すことによって、新しい力を与えられるように、思い起こしは生命の回復の機会で す。しかし、ここでも。大臣たちの進言は、まことに愚かです。修復に向かわない で諸州からあまたの美女を集めて次の王妃選びをするという、大掛かりなことにな っています。王の絶対的な権力とそれを支える官僚機構の繰り出す知恵の浅薄さを 笑う、皮肉な笑いをここでも感じます。 その中で登場するわれらが主人公エステルとモルデカイ、この人はサウル王と同 じベニヤミン族の人で、「バビロンの王ネブカドネツァルによってユダヤ王エコン ヤと共にエルサレムから連れて来られた捕囚民の中にいた」と紹介されます。二人 の登場で印象的なことは、彼らの受動性と匿名性です。王の命令によって、集めら れ、連れて来られ、託され、王妃になるエステル。「自分が属する民族と親元を明 かさないように」と命じるモルデカイ、二人の名前からしてバビロンの男性神と女 性神から取られた名前ですし、イスラエルの律法からすれば許されざる異邦人との 結婚に受動的に関わらせられています。異邦の中で寄留者として、匿名性と受動性 においてでなければ生きられない神の民の状況。しかし、受動性だけでは生きられ ない出来事によって、神の民の生き方を示さざるをえないことがこれから展開され て行きます。
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