エステル記 2:15-23 ; コロサイの信徒への手紙 4:2- 6
エステル記の物語は、諸州からの並みいる美女をおいてユダヤ人のエステルがペ ルシャ王の王妃となり、「エステルの酒宴」が開かれるにいたったこと、また、エ ステルのいとこで養父となっていたモルデカイの王の門での働きのことへと展開し ます。 エステルは、一年に亘る美しさを磨き上げる期間を経て、王のもとに赴き、王と 一夜を過ごし、そこから第二後宮に移される、江戸時代の大奥にも似た組織の中で、 王の特別な愛顧を受け、ついに王妃になりますが、彼女の生き方は全く受動的で、 自制と従順で貫かれています。彼女は「姿も顔立ちの美しかった」とありますが、 それだけでなく、王のもとに行くときには、何でもほしいものは与えられるのに、 彼女はただ監督官のヘガイの勧めるもの以外は何も求めず、ヘガイもエステルに好 意を抱き、目をかけたこと、王も「どの女にもましてエステルを愛し、王の行為と 愛に最も恵まれることになった」と言われます。王のエステルに対する思いは、 “アメド”と“へセド”と言う二つの愛を表現する言葉で語られていますが、それ は、その美貌だけに惹かれたのではなく、その心映え、人となりに魅せられたこと を表しています。モルデカイの指示により、ユダヤ人としてのアイデンティティー を全く隠して、そのように異例の出世を遂げているのです。 モルデカイの生き方も注目すべきものです。彼は王の門に座っている時に、王に 対する陰謀があるのを聞きつけ、そのことをエステルを通して王に知らせることに よって、陰謀を企てた者の処刑に至り、王の記録に名をとどめることになります。 「王の門の所に座る」のは、王宮の職務、地位を得ていたものと考えられ、その働 きの性質からすれば、独裁者の秘密警察組織に属する者であったのかもしれません。 彼もユダヤ人としてのアイデンティティーは隠して、しかし、受動的というよりは、 より積極的に異郷の地で、いささか暗い部分に自らの生きるべき場所と働きを造り 出しています。エステルもモルデカイも、ダニエル書の登場人物のような、ユダヤ 人としての信仰を異郷でも貫く生き方ではありません。この生き方において、事態 はどう展開するか、この社会の中で匿名性において生きることが多い日本のキリス ト者の生き方を考える上でも、興味ある展開が起こりそうです。
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