3月6日
2011年3月6日

「神の民であるが故に・・・ 」

エステル記 3:1-7 ; ヘブライ人への手紙 11:8-16


 並みいる王国内の美女の中から選ばれて王妃となったエステル、王に対する陰謀

を密告して王の命を救い、王の記録にとどめられたモルデカイ、異国の地ペルシャ

で異例の昇進を遂げた神の民の二人は、恐るべき危機に直面することになります。

ペルシャ王の王宮内でモルデカイ以上に昇進した人物がいました。アガグ人ハマン

です。アハシュエロス王はハマンをとりたてて同僚の大臣の誰よりも高い位置につ

け、王宮の役人はすべてハマンが来るとひざまずいて敬礼をしなければならないと

いうことになりました。ところが、モルデカイは頑としてハマンにひざまずくこと

をしなかったのです。どうして、そんなことをするのか、その理由は記されていま

せんが、すぐに思いつくことは、ユダヤ人モルデカイは神以外の何ものも拝するこ

とをしないという、信仰上の理由での拝礼拒否です。しかし、旧約の世界でも上官

や王に拝礼することはありうることで、ハマンを神として礼拝することを命じてい

るわけではないので、恭順の意を表してもよかったのです。拝礼拒否の本当の理由

は、モルデカイの嫉妬とプライドによる、と考えるのがもっともらしいところです。

 ハマンは、当然、憤り、反撃に出ます。その反撃ぶりも尋常ではありません。モ

ルデカイ一人を殺すのでは足りず、民族全体を皆殺しにしようと企てるのです。人

は自分の傷つけられた誇りを癒すための代償として無限大のものを要求する。「人

を裁くな。・・・自分の裁くその裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」

と言う主イエスの原理を悟ることのない世界、現代に至るまでどこの国でも見られ

るこの誇りの病に取りつかれた、人と人とのあくことのない争い。これがどのよう

な決着を見るか、物語の展開を待たなければなりませんが、これが、祝福の基とな

るべく選ばれ、呼び出されたアブラハムの裔、神の契約の民の、この世界における

現状として描かれていることに驚かされます。いや、旧約の物語の多くは、その信

仰によって神の祝福を証し、神の栄光を表すより、このような地に堕ちた主の民の

姿をあらわにしているのです。神の救いは、その場面を救うことだけでは完結せず、

もっと深みにまで、心の聖化にまで到達しなければ終わりません。人となられた主

イエスの低く降る旅の大きさを思わされます。

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