エステル記 6:1-14 ; ガラテヤの信徒への手紙 5:16-26
エステル記の物語は、鋭いアイロニーと笑いを誘いながら、意外な方向に進みま す。王の信任を得て、誰よりも高い地位を手に入れたハマンは、自分に対してただ 独り頭を下げないユダヤ人モルデカイに憤激し、モルデカイばかりかペルシャに住 むすべてのユダヤ人の絶滅を謀ります。モルデカイを高い柱に吊るして葬り去ろう とするその前夜、ペルシャ王は、眠れぬままに王の記録を読ませているうちに、モ ルデカイがかつて宮廷内にあった陰謀を知らせたために、王が殺害の危機を免れた ことがあったこと、それに対して何の報償もなされていなかったことに気づきまし た。そこで、王はハマンに、「王が栄誉を与えることを望むものにどうしたらよい か」と相談します。ハマンは、王が栄誉を与えようとしておられるのは自分以外に はないと考えて、滔々と自分にして欲しいことをのべます。ところがその栄誉は、 ほかならぬ宿敵ユダヤ人モルデカイに与えられることになってしまい、ハマンは悲 しみとくやしさに、頭を抱えてしまったというのです。ハマンの没落は、ここから さらに進んで行きます。まさに、「人の心には多くの計らいがある。主の御心のみ が実現する」のです。 この物語の情景と新約聖書の言葉を並べると、興味深い対比を発見できます。ハ マンは、自分自身にして欲しいことを進言しましたが、その通りのことをモルデカ イに実行することになりました。「人にしてもらいたいことを、何でもあなたがた も人にしなさい」と主イエスは、教えられました。ハマンは期せずして、主イエス の教えられる愛のかたちを実践したのです。「自分の望む善は行わず、望まない悪 はこれを行っている」の逆バージョンです。自己愛に目がくらみ、誇りの病に取り つかれた人間が行う、まことに滑稽な様がより一層鮮明に見えてきます。 ハマンが望み、その通りのことがモルデカイに行われたこと、王の衣を着せ、王 冠をつけた馬に乗せて、都の広場で「王が栄誉を与えることを望む者には、このよ うなことがなされる」と触れ知らされた情景と、子ロバに乗ってエルサレムに入城 された主イエスの光景の対比。仕えられることを望む者と、仕えるため、命を与え るために来られた方との違いが鮮明です。「平和の君」の姿です。
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