エステル記 7:1-10 ; ローマの信徒への手紙 2:17-29
エステル記のクライマックスは、ペルシャに住むユダヤ人すべてを絶滅させよう としたハマンに対して、王妃となったエステルが立ちあがり、決死の覚悟で、王と ハマンを酒宴に招き、王に窮状を訴えるところにあります。エステルがユダヤ人で あることも、モルデカイの養女であることも全く気づかないで、王と共に王妃の酒 宴に招かれていることに有頂天のハマン。二日目の酒宴になって、王の方が待ちき れなくなって、「一体何が王妃の願いなのか、王妃の願いとあれば王国の半分も与 えよう」と約束するに至って、エステルがついに心の願いを語り始めます。「もし 特別なご配慮をいただき、わたしの望み、願いを聞いていただけますなら、私のた め、私の命と私の民族の命をお助けいただきとうございます。」この嘆願の言葉を 直訳すると、「わたしに、わたしの命を与えてください。これが私の願い。わたし の民の命を与えてください。これが私の求め」と極めてストレートな表現です。ま さに「人間を返せ!命を返せ!」と原爆の廃墟の中から叫んだ詩人のように、地の 底からの叫びです。このような叫びが、今も、どれほど地の底から立ち上がってい ることか。 エステルは、この時のためにこそ、自分はここにいるのだと考えて窮状を訴えま す。王は驚いて問います。「だれがそのことを画策し、その者はどこにいるのか。」 エステルは答えます。「その恐ろしい敵とは、この悪者のハマンでございます。」 和やかな酒宴の場は、一瞬にして凍りつきます。見事、エステルの酒宴は所期の目 的を果たし、絶滅の危機にあったユダヤ人は救われ、悪者ハマンは高い柱に吊るさ れてしまいました。めでたし、めでたし。いや、ハマンを吊るした高い柱は、本当 に終わりを告げるしるしとなったでしょうか。地の底からの民衆の叫びを救い取っ たでしょうか。エステルやユダヤ人にとっては一つの終わり、しかし、ハマンの味 方にとっては新たなる始まりです。ハマンが吊るされた柱は終わりをもたらしませ ん。真の終わりをもたらすものは別の柱、贖いの柱、新約の柱を待たなければなり ません。神のみ子、主イエス・キリストがわたしたちの罪を代わって負い、高くあ げられた十字架の柱です。ハマンの柱の後には新たな柱が、十字架の向こうには復 活があります。
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