5月29日
2011年5月29日

「 祝宴と喜びの日 」

エステル記 9:1-19 ; ヨハネの黙示録 14:6-13


 木に吊るされたはずのモルデカイと絶滅させられたはずのペルシャに住むすべて

のユダヤ人は、エステルの命がけの嘆願によって事態は逆転し、ハマンが木にかけ

られて殺され、王の信任を得たモルデカイが、王の名によってユダヤ人を迫害する

ものをすべて滅ぼしつくす勅令を出すということになりました。『どの町のユダヤ

人にも自分たちの命を守るために集合し、自分たちを迫害する民族や州の軍隊を女

や子供にいたるまで一人残らず滅ぼし、殺し、絶滅させ、その持ち物を奪い取るこ

とが許された』と。モルデカイが王のもとから退出すると 『スサの都は歓声に包

まれた』とありますし、また、その復讐の日は『ユダヤ人にとっては輝かしく祝う

べきこと、喜ばしく誉あること』となりました。『ユダヤ人は敵を一人残らず剣に

かけて打ち殺し、滅ぼして仇敵を思いのままにした』というのです。さらに、エス

テルはハマンの息子10人を木にかけてさらし者にすること、そして、アダルの月

の13日だけでなく14日も、復讐行為を続けさせてほしいと願い出て許され、ペ

ルシャの全国で7万5千人が殺された、と。その情景を見ている人々はユダヤ人に

対する恐れに襲われ、深い沈黙が支配します。絶滅の危機を覚えていたユダヤ人に

とって、この逆転劇、復讐劇はまさに胸のすくこと、心の晴れるときであったに違

いありません。しかし、わたしたちには地獄の底で悪魔が哄笑しているような情景

にしか見えません。ここには『目には目、歯には歯』の原則さえ逸脱した凄惨な復

讐劇が謳歌されているように見えます。ここで再び、どうしてこれが聖書に入って

いるのか、これが神の言葉なのか、という疑問に襲われます。

 しかし、人類の歴史を顧みると、このユダヤ人の危機と逆転、そして復讐に次ぐ

復讐の光景は、まったく目新しいことではありません。せめて、このような逆転物

語をもって希望のない厳しい現実に慰めを見出している虐げられた民族の悲しい心

情を思うべきでしょうか。いや、それより、このような物語を持っている民族の中

から、主イエスの『敵を愛し、迫害するもののために祈れ』というみ言葉が語られ

ていること、主イエス・キリストによってもたらされる和解が、「十字架によって

敵意を滅ぼしつくされた」とのみ言葉の、暗闇の中に輝く光を見ることができます。

秋山牧師の説教集インデックスへ戻る

上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る