アモス書 7:7-17 ; コロサイの信徒への手紙 1:1-14
コロサイの信徒への手紙の冒頭の部分、ここには普通の手紙のように、はじめの 挨拶と手紙のあて先の人々と手紙の書き手との関係のことが語られます。この手紙 では感謝の言葉とコロサイの教会の信徒のために執り成しの祈りが記されています。 これらの言葉を通して、キリスト者独特の意味世界が広がっており、わたしたちも、 このような意味世界の中で言葉を見出し、養われてきましたし、また、実りと成長 が与えられます。 ここで語られる祈りと感謝の言葉は、「あなたがたがキリスト・イエスにおいて 持っている信仰と愛について聞いた」ところから出ています。パウロはエパフラス からコロサイの信徒たちが他の遠いところにある聖徒たちのために、その生活を支 えるために多くの働きをしたことを聞いたのでしょう。その信仰と愛は「あなたが たのために天に蓄えられている希望に基づくもの」と語られています。その姿の中 に、確かなキリストにあって生きている信仰者の姿を見て、神に感謝をしているの です。ここに語られていることは、普通の手紙のような常套文句の羅列ではありま せん。「天に蓄えられている希望に基づく愛」とは、どのような愛なのでしょう。 この愛は、コロサイの信徒の間で実りをもたらし成長している、というのです。信 仰と愛において実りと成長は何によってもたらされるのか、この問題は簡単には答 えられない大きな問題です。体力や知識が増せば信仰と愛が大きくなるということ でもありません。人格そのものの全体的な成長と実りは年齢を重ねれば大きくなる というものでもありません。しかし、ここでは実に明快に、信仰と愛の実りと成長 は、「天に蓄えられている希望に基づく」と語られているのです。天に蓄えられて いる希望ですから、地上的な報酬や見返りを期待する愛に基づくものでないこと、 また、自分の内からおのずから湧き出てくるものでもないことが明らかです。した がって、この愛と信仰を得るためには、「福音によって真理の言葉を聞くことによ る」(5節)、「霊によるあらゆる知恵と理解によって神の御力を十分に知る」 (9節)ことによって得られると記されています。要するに、キリストの内にある 希望が明らかになるに従って、信仰と愛が確かになり、実りと成長をもたらすもの となるということです。
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