7月17日
2011年7月17日

「 キリストの苦しみと欠けたところを満たす務め 」

アモス書 8:1-12 ; コロサイの信徒への手紙 1:15-29


 コロサイの信徒への手紙のキリスト像は、新約聖書の中で最も壮大で、また神秘

的です。御子イエス・キリストは、・見えない神の顕在した姿、・すべてに先立っ

て生まれた方、・万物は御子によって、御子のために造られた、・すべての王座、

主権、支配、権威も御子において造られた、・御子によらないで存在するものは何

一つない、歴史を超越したキリストです。また、次に、この御子は、・教会の頭、

・死者の中から最初に生まれた方、・十字架の血によって平和を打ち立てた方、・

すべてを満たす方として、万物を神がご自分に和解させるために和解の働きをされ

た方、として描き出されています。初代教会の讃美歌の言葉から引用されたもの、

といわれますが、先在者、創造者、救済者、和解者としての御子イエス・キリスト

です。史実としてのナザレのイエスの実像を求める近代の新約学者たちの目をくら

ませてしまう、時間と空間を超えた存在として示されています。世々の教会は、こ

のキリスト像を心に思い描くことによって、教会を建て、この主を礼拝し、信仰と

愛を養い、育て、実りをもたらしてきたのです。

 わたしは先月末にスイスのバーゼルで16世紀の画家ホルバインの描いたキリス

ト像を見てきました。「墓に横たわるキリスト」と題する絵で、ちょうど棺の大き

さの横長の額一杯に、まさに人間の死体そのものの姿のキリストが横たわっていま

す。眼はうつろに半分見開かれ、脇と手、足は痛々しい血痕を残した傷口が開いて

います。棺の中に、まさに人間の終極の姿において横たわるイエス・キリスト、こ

のキリストとコロサイの信徒への手紙に描かれている初代教会のキリスト賛歌のキ

リストとが同一の方として結びつけられ、この二つの姿において礼拝されるという

ことに、驚きと不思議さを思わずにはいられません。この奥義が聖霊によってわた

したちの心を照らす時、わたしたちの目も開かれて、この創造者、主権者、救済者、

和解者であるキリストとの絆によって生きるものとされます。パウロは、このキリ

ストと「わたし」との関係について、不思議な言葉を語っています。「いまや、わ

たしはあなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のため

に、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」と。和解を告

げ知らせる務めです。

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