7月24日
2011年7月24日

「 キリストの凱旋に加えられた者 」

ホセア書 1:2-2:3 ; コロサイの信徒への手紙 2:6-15


「あなたがたは、主イエス・キリストを受け入れたのですから、キリストに結ばれ

て歩みなさい。」コロサイの信徒への手紙の全体は、まさにこのことを告げるため

に書かれています。前の章では、主イエス・キリストがどのような方であるかにつ

いて、実に壮大な、新約聖書の中でも最も神秘的で思弁的なキリスト像が描きださ

れました。神の御子。万物が造られる前に生まれた方、すべてのものが彼によって、

彼のために造られ、すべてのものの支配者、権威ある方。御子は、すべてのものに

先立って死者の中から復活した方、十字架の血によって万物を和解させ、神の平和

をもたらした方、わたしたちは、このキリストのために、その苦しみのなお足りな

いところを補う働きをする者だ、というのです。ここから、キリストに結ばれて歩

く生活への勧めがなされます。それは、キリストに根を下ろした生活、キリストに

よって建てあげられる生活、そして、喜びと感謝にあふれる生活です。

 キリストの根差さない生活、キリストによって建て上げられていない生活、感謝

と喜びが起こらない生活のことが随所に描かれており、生命の枯渇した信仰者の現

実に触れていることがこの手紙を書く動機になっていることが分かります。「むな

しいだましごとの哲学」、「手をつけるな、味わうな、触れるなどと言う戒律に縛ら

れている」生活、「食べ物や飲み物のこと、新月や安息日のことで非難をする」、

「偽りの謙遜、体の苦行を伴うもの」・・・これらの言葉をとおして透けて見える

ことは、異邦人キリスト者であるコロサイの信徒に、ユダヤ教的な律法の世界に戻

ることを勧めるとともに、一種の神秘主義的な傾向をもつ、「ユダヤ教的グノーシ

ス」といわれるグループのことだと思われます。

 それでは、これらの空しい喜びのない生活ではなく、キリストに結ばれた生活と

はどのように生きることなのか、ここで、また不思議な言葉が語られます。「キリ

ストの内には満ちあふれる神性が余すところなく見える形をとって宿っており、あ

なたがたはキリストにおいて満たされているのです」。キリストのものとなった者

は、洗礼によって、形の上だけでなく、満ちあふれる豊かなもの、世界を満たして

いるものをいただいている、その賜物を充分にいただく、その賜物によって生きる、

ここが秘訣です。

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