ホセア書 11:1-11 ; コロサイの信徒への手紙 3:1-11
コロサイの信徒への手紙は、キリスト者が真の敬虔と聖化にあずかるための指針 を示す言葉に満ちています。「あなたがたは主イエス・キリストを受け入れたので すから、キリストに結ばれて歩みなさい」との勧めに続いて、あなたがたはキリス トと共に復活させられたのですから上にあるものを求めなさい」と勧められます。 キリスト共に葬られ、主イエス・キリストを死者の中から引き上げられた神を信じ て、キリスト共に復活させられた、洗礼の恵みの中に生きるのがキリスト者の歩み ですから、その歩みを方向づけるものが、「上にあるものを目指して生きる」、す なわち、復活して天にあげられ神の右の座についておられるキリストと一体とされ ることに向かって生きるように、と勧めるのです。不思議な勧めです。このような 勧めがわたしたちの生活の中でどのような意味を持ち、日々の生活を方向づけ、生 活の中に実りをもたらすものとなるのでしょうか。 上にあるものを求める、という方向付けそのものは、前進、向上、成長を目指す 生き方、積極的な前向きの生きる姿勢を目指すもので、誰でもよく言うことです。 しかし、ここで語られる「上にあるもの」は、災害の中から立ちあがることや、成 績の順位が上がること、生活の質や経済状態の向上、社会的な地位や評価の上昇な どとは違います。上にあって目指すべきものは、自分の将来像ではなく、復活され たキリストであり、そのキリストと一つになることなのです。上にあるものを求め る、ということは、地上的なもの、すなわち、「みだらな行い、不潔な行い、情欲、 悪い欲望、および貪欲は捨て去りなさい」と、自分自身のうちにある思いと自分の 行動を統御すること、「捨てること」が求められますが、更に根源的に、「古い人 をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにさ れて真の知識に達する・・」、と、その捨て方は、単に制御や抑制ではなく、古い 人を脱ぎ捨て、新しく生まれること、を意味します。そして、「主の姿に倣う」ので あれば、わたしたちの罪のために低く降られ、多くの人の罪のために苦難と死を引 き受けられた主イエス・キリストに倣う、という「低く降る歩み」へと方向づけられ、 そこから復活が展望されているのです。
秋山牧師の説教集インデックスへ戻る