8月7日
2011年8月7日

「 恐れるな、小さな群れよ 」

イザヤ書 1:1-17 ; ルカによる福音書 12:22-34


「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。・・・烏の

ことを考えてみなさい。・・・野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。

・・・信仰の薄い者たちよ。あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考え

てはならない。また、思い悩むな・・・。」主イエスのこの勧めは、この世の思い

煩いに満ちているわたしたちの生活の中に、一陣の風を送り込み、はっと、眠りか

ら目覚めさせられます。この言葉は、マタイによる福音書の山上の説教の中にある

言葉として記憶していることが多いと思いますが、ルカによる福音書ヴァージョン

もあって、微妙な違いが興味深いところです。その最後のところで、マタイでは

「明日のことまで思い悩むな。・・・」となっているのに対して、ルカでは、「小

さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」、となってい

るところが最も大きな違いです。ルカでは、とりわけ、小さな群れである教会に宛

てて、「恐れるな」と語られているのです。大牧者である主イエスが、確かな意思

をもって羊の群れのような教会を守り、養い、育て、青草の原に導いてくださる決

意が、この言葉の内に込められているのを感じます。また、この呼びかけによって、

ルカが生きている教会の状況が目に浮かびます。それは、まさに、「小さな、無力

な羊の群れ」であって、無力さ、小ささ、確信のなさによって、恐れが支配してい

る教会、何を食べようか、何を着ようかと、生活に追われ、この世の物と人との比

較でその小ささに圧倒されている教会の現状で、わたしたちにもその勧めは身にし

みます。主イエスは、「信仰の薄い者よ」と語られ、「神の国を求めなさい」と語

られるのは、自分の命も、自分の生活を装っている物も、すべて、天の父から出て

いることを忘れて、自分のものにとらわれているところから解放されて、天の父の

もとで生きることへと立ち帰ることこそ、すべてが与えられる道であることを知っ

ているからです。その後に続く言葉が大切です。「自分の持ち物を売り払って施し

なさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい」

と言うのです。御国をくださるとの約束のすぐ後で、持ち物を売り払い施すように

との勧めは飛躍しているように思えますが、まさに、これが、思い煩うことなく、

あふれるほどの恵みをいただく秘訣であることは、経験ですぐに分かります。ただ

持ち物ではなく、存在のすべてを捧げることです。

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