イザヤ書 1:1-17 ; ルカによる福音書 12:22-34
「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。・・・烏の ことを考えてみなさい。・・・野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。 ・・・信仰の薄い者たちよ。あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考え てはならない。また、思い悩むな・・・。」主イエスのこの勧めは、この世の思い 煩いに満ちているわたしたちの生活の中に、一陣の風を送り込み、はっと、眠りか ら目覚めさせられます。この言葉は、マタイによる福音書の山上の説教の中にある 言葉として記憶していることが多いと思いますが、ルカによる福音書ヴァージョン もあって、微妙な違いが興味深いところです。その最後のところで、マタイでは 「明日のことまで思い悩むな。・・・」となっているのに対して、ルカでは、「小 さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」、となってい るところが最も大きな違いです。ルカでは、とりわけ、小さな群れである教会に宛 てて、「恐れるな」と語られているのです。大牧者である主イエスが、確かな意思 をもって羊の群れのような教会を守り、養い、育て、青草の原に導いてくださる決 意が、この言葉の内に込められているのを感じます。また、この呼びかけによって、 ルカが生きている教会の状況が目に浮かびます。それは、まさに、「小さな、無力 な羊の群れ」であって、無力さ、小ささ、確信のなさによって、恐れが支配してい る教会、何を食べようか、何を着ようかと、生活に追われ、この世の物と人との比 較でその小ささに圧倒されている教会の現状で、わたしたちにもその勧めは身にし みます。主イエスは、「信仰の薄い者よ」と語られ、「神の国を求めなさい」と語 られるのは、自分の命も、自分の生活を装っている物も、すべて、天の父から出て いることを忘れて、自分のものにとらわれているところから解放されて、天の父の もとで生きることへと立ち帰ることこそ、すべてが与えられる道であることを知っ ているからです。その後に続く言葉が大切です。「自分の持ち物を売り払って施し なさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい」 と言うのです。御国をくださるとの約束のすぐ後で、持ち物を売り払い施すように との勧めは飛躍しているように思えますが、まさに、これが、思い煩うことなく、 あふれるほどの恵みをいただく秘訣であることは、経験ですぐに分かります。ただ 持ち物ではなく、存在のすべてを捧げることです。
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