イザヤ書 5:1-7 ; ルカによる福音書 12:49-56
「あなたがたは、わたしは地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうでは ない、言っておくが、むしろ分裂だ。」ここに語られている主イエスの言葉は、衝 撃的で、とりわけ、平和主日には全くふさわしくない言葉です。しかし、形ばかり の平和を求めるわたしたちの祈り、平和を求めつつも、現実には分裂と破壊に加担 して生きているわたしたちを目覚めさせるに十分な衝撃が与えられます。 主イエスの地上での働きが、平和をもたらす働きであったことは確かです。「貧 しい人に福音を告げ知らせ、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の 回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるため」とイザヤ が預言したメシアの働きは、まさに、主イエスの働きそのものです。「主の恵みの 年」の到来は、神のシャロームの実現そのものです。しかし、確かに、主イエスに よって主の恵みの年が実現している世界には、喜びと感謝があふれていると共に、 そこには敵意と反感とが渦巻き、ついに主を十字架へと追い込んで行くことになっ たことも事実です。「地上に火を投じるために、わたしは来た」と、主イエスが語 られる通り、その働きは、焼きつくして滅び去るものと、焼かれた後にもなお精錬 されて残るものとを分けます。 この主の言葉を記したルカは、主の十字架と復活が既に起こり、その後の使徒た ちの宣教の広がりがある時代に生きています。キリストの体である教会の存在が、 この世界の中でどのようなあり方を示すかの現実を見ています。そこには確かに、 信仰のゆえに、5人の家族の内、3人と2人に分れ、父と息子、母と娘、嫁と姑と が相分かれて対立する、という現実があったでしょう。迫害と殉教の危機に直面し て、それに立ち向かう人々の心は一つではありえません。主イエスの言葉は、この 事態を見越しています。老シメオンが幼子イエスを見て、「イスラエルの多くの人 を倒したり、立ちあがらせたりするために定められ、また、反対を受ける印として 定められています。・・・多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」と 預言した通りのことが起こるのです。主イエスは、今を生きるわたしたちにも、信 じて生きる者としての覚悟を求めています。時の中を生きるわたしたちに、平和を 求めつつ分裂が起こるという現実に、時を見極めつつ生きる覚悟を求めているので す。
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