10月9日
2011年10月9日

「 憐れみ深い忠実な大祭司イエス 」

ヨブ記 33:19-30 ; ヘブライ人への手紙 2:10-18


 ヘブライ人への手紙2:10〜18には、神の御子イエス・キリストによっても

たらされた救いがどのようなものであるかについて、表層から深層に向って掘り進

むように、その見取り図が提示されているようです。10節と18節によって、救いの

創始者イエスは、自らの苦しみを通して、多くの子らを栄光に導く方であること、

また、自らが多くの試練を受けられたからこそ、試練を受ける人たちを助けること

ができる、と語られます。主イエスによって与えられる救いは、水におぼれている

人を遠くから浮輪を投げて陸に引き揚げるような救いではなく、自ら水に飛び込ん

で荒波をくぐり沈む体を抱き抱えて安全な所に導いてくれる、そのような救いだと

いうのです。確かに、わたしたちの苦難や試練は、その身になってみなければわか

らないし、外からのどんな知恵も救済の道も、苦しみを共有することなしには魂の

深みには到達しません。主イエスの苦難と死に置いて示される愛が試練の中にある

者を救うのです。

 しかし、同病相憐れむと言った類の救いは、滅びを共有しているだけで、それだ

けでは救いにはなりません。この手紙で次に示される層では、「イエスは彼らを兄

弟と呼ぶことを恥としない」という言葉が響きます。世界を創造された方。神の栄

光の反映である方が、わたしたちと血肉を分かち合い、限りある生、死に向う生を

共にされた、というのです。兄弟となったことを示す旧約の言葉は詩篇22篇からの

もので、この詩篇の冒頭は、主イエスが十字架上で叫ばれたあの祈り、『わが神、

わが神、どうしてわたしをお見捨てになるのですか』に始まります。絶望の深淵か

らの叫びから立ちあがった者として、神を賛美するように兄弟に呼び掛けている言

葉が引用されています。

 更に、次の深層があります。兄弟として苦難を共にし、そこから救い出されたも

のとして兄弟を救いあげるだけでなく、その苦難と死によって、「死をつかさどる

もの、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯奴隷の状態にあ

った者たちを解放するため」という、神の御子、主イエスの生涯の意味と目的が語

られます。ここで、『神のみ前において憐れみ深い忠実な大祭司となって民の罪を

償う』キリストか語り出されるのです。

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