ヨブ記 33:19-30 ; ヘブライ人への手紙 2:10-18
ヘブライ人への手紙2:10〜18には、神の御子イエス・キリストによっても たらされた救いがどのようなものであるかについて、表層から深層に向って掘り進 むように、その見取り図が提示されているようです。10節と18節によって、救いの 創始者イエスは、自らの苦しみを通して、多くの子らを栄光に導く方であること、 また、自らが多くの試練を受けられたからこそ、試練を受ける人たちを助けること ができる、と語られます。主イエスによって与えられる救いは、水におぼれている 人を遠くから浮輪を投げて陸に引き揚げるような救いではなく、自ら水に飛び込ん で荒波をくぐり沈む体を抱き抱えて安全な所に導いてくれる、そのような救いだと いうのです。確かに、わたしたちの苦難や試練は、その身になってみなければわか らないし、外からのどんな知恵も救済の道も、苦しみを共有することなしには魂の 深みには到達しません。主イエスの苦難と死に置いて示される愛が試練の中にある 者を救うのです。 しかし、同病相憐れむと言った類の救いは、滅びを共有しているだけで、それだ けでは救いにはなりません。この手紙で次に示される層では、「イエスは彼らを兄 弟と呼ぶことを恥としない」という言葉が響きます。世界を創造された方。神の栄 光の反映である方が、わたしたちと血肉を分かち合い、限りある生、死に向う生を 共にされた、というのです。兄弟となったことを示す旧約の言葉は詩篇22篇からの もので、この詩篇の冒頭は、主イエスが十字架上で叫ばれたあの祈り、『わが神、 わが神、どうしてわたしをお見捨てになるのですか』に始まります。絶望の深淵か らの叫びから立ちあがった者として、神を賛美するように兄弟に呼び掛けている言 葉が引用されています。 更に、次の深層があります。兄弟として苦難を共にし、そこから救い出されたも のとして兄弟を救いあげるだけでなく、その苦難と死によって、「死をつかさどる もの、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯奴隷の状態にあ った者たちを解放するため」という、神の御子、主イエスの生涯の意味と目的が語 られます。ここで、『神のみ前において憐れみ深い忠実な大祭司となって民の罪を 償う』キリストか語り出されるのです。
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